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2023年2月 子どもたちの意欲を引き出す教育とは

子どもたちの意欲を引き出す教育とは、「自分が子供のときにこんな教育を受けていたら、とても意欲的に勉強しただろうな」、と思うような教育です。つまり、勉強が楽しくなる、勉強が進むのがうれしくなる、わかりやすく、やりがいを感じ、前向きになり、好奇心や探究心を刺激する教育です。子どもたちがもっとどんどん勉強したいと思うような教育です。

2023年2月 子どもたちの意欲を引き出す教育とは

子供たちを、勉強嫌いにさせていませんか? 
私たちの教育は正しいでしょうか? 私たちは、子どもたちの意欲を適切に引き出してますでしょうか? むしろもしかしたら、私たちは子どもたちに「勉強を嫌いにさせる」ことばかりをしているのかもしれません。
教育において大切なのは「子どもたちの意欲を引き出すこと」です。そのためには、まずは子どもたちをよく観察することです。子どもたちの心理とその変化を察知しながら、彼らの意志をしっかり尊重しながら、前向きなやる気、意欲、探究心、競争意識、そしてより良い未来をつくる「強い意志」を引き出していくのです。
教育者はくれぐれも、「子供たちを勉強嫌いにさせる天才」にならないようにしましょう。むしろ子どもたちの意欲をしっかり引き出していく教育を実現していきましょう。

「ほめる」教育は効果的か?

「ほめる」教育は必ずしも効果的ではありません。「ほめる」教育で伸びる子もいれば、伸びない子もいます。場合によっては逆効果で、子どもたちの意欲を潰してしまうこともあります。大切なのは、子供たちそれぞれの個性です。ただほめれば良いわけではありません。
一般的には、女の子は褒めると伸びやすく、逆に男の子は褒めてもあまり伸びないと言われています。「ほめる」教育を取り入れた教室では、成績上位は女子が独占し、男子は勉強せず不良になりやすいといわれています。おそらく、女子の成績を伸ばすには褒めるのがよいのでしょう。しかし男子の成績を伸ばしたいのであれば違うアプローチが必要かもしれません。

男の子があこがれる「ちょいワルの不良教師」を演じる

いかにもカチカチの「頭の固い先生」を男子は嫌います。小言ばっかり言う先生は嫌いだし、成績優秀な子ばっかりほめる先生、女の子ばっかり褒めている先生はもっと嫌いです。嫌いな先生の言うことなんか、聞きたくありません。
男の子が好きな先生は、ちょいワルで不良少年の気持ちがわかる先生です。「この先生なら僕の気持ちもわかってくれる。」そう思ったとき、子どもたちは心を開き、先生の言うことを聞こうとします。「ちょいワルの不良教師」を演じるのは、子どもたちの心を開くためです。子どもたちが心を開かなければ、何を言っても効果はほとんどありません。子どもたちが耳を傾けるためにも、男の子があこがれる「ちょいワルの不良教師」を演じましょう。

「好奇心」を刺激する話し方

「好奇心」を刺激する話し方をしましょう。ひとつひとつを物語のように、話の続きが気になるような話し方をしましょう。子どもたちが話を聞かないのは、子どもたちのせいではありません。あなたの話し方が悪いのです。あなたの話し方が子供たちの「好奇心」を引き出せていないからいけないのです。子どもたちが授業に集中していないのを、子どもたちのせいにしてはいけません。
こどもたちが興味を持つよう、「好奇心」を刺激するような話し方ができるよう、日々工夫しましょう。

「なんでだろう」「どうしてだろう」の習慣づけ

毎日起きている現象も、ただぼおっとして眺めているのと、「なんでだろう」「どうしてだろう」と思いながら観察しているのとでは、見え方が違ってきます。「なんでだろう」「どうしてだろう」と思うことで、気付きを得やすくなります。教育においても、子どもたちが「なんでだろう」「どうしてだろう」と思う気持ちを大切にし、それを習慣づけしていくことが大切です。「なんでだろう」「どうしてだろう」と考える習慣がついた子供たちは、グングン伸びていきます。

わかりやすい理屈

子どもたちに説明するときは、わかりやすい理屈を話しましょう。理屈を言わなかったり、たとえ理屈を言ってもわかりにくかったりすると、子どもたちはついて来れなくなります。場合によっては、そこで子どもたちは思考停止してしまいます。教師として大切なのは、子どもたちを思考停止させないようにすることです。そのためにも、理屈の説明を省略せず、常に分かりやすい理屈で説明することを心がけましょう。
どのようにすれば「わかりやすい理屈」で説明できるのか、子どもたちと一緒に学んでいきましょう。

「あこがれ」をつくる体験

子どもたちに「あこがれ」をつくる体験をさせましょう。プロ野球の試合に連れていくことで、プロ野球選手が子供たちの「あこがれ」になることがあります。サッカーを見せればサッカー選手が、コンサートに連れて行けばミュージシャンやアイドルが、格闘技のイベントに連れて行けば格闘家が、あるいはゲームやユーチューブばかり見せていればゲーマーやユーチューバ―が「あこがれ」の職業になるかもしれません。
でもそれだけで良いでしょうか? もっと子供たちの可能性を拡げるような「あこがれ」をつくる体験をさせられないでしょうか?
例えば、弁護士へのあこがれをつくるために、裁判所の傍聴席に連れて行ってはいかがでしょうか。代議士へのあこがれをつくるために、議会や選挙事務所に連れていくのはどうでしょうか。
例えば弁護士へのあこがれを強く持つようになると、子どもは自主的に勉強するようになります。わざわざ親や教師が「勉強しろ」と言わなくても、びっくりするくらい勉強します。逆に、「あこがれ」を持たない子供に勉強させようとしても、なかなか言うことを聞いてくれるものではありません。
子どもたちだって、何にも目指す目標やあこがれが無いのに、「勉強しろ」と言われるだけで勉強したくありません。
無理に勉強を強要するよりも、子どもたちには「あこがれ」をつくる体験をさせてあげましょう。何か強い「あこがれ」を持つようになれば、親や教師が何も言わなくても子どもたちは自主的・意欲的に学ぶようになります。

いっしょに学ぼう

「教えられる立場」というのは、何か下の立場のようで嫌なものです。子どもたちは、ずっと「教えられる立場」が続いていることにうんざりしています。自分が教壇に立って、教える立場になってみたいと思っている子供もいるかもしれません。
たまには、立場を変えて見ましょう。子どもたちが教え、先生が学ぶ時間もつくってみましょう。また、先生もわからないことについて、子どもたちと一緒に学ぶ時間をつくるのもいいでしょう。
立場の固定化は、教育のマンネリ化を招きます。子どもたちに刺激を与えるためにも、たまには立場を入れ替えたり、先生が生徒を一緒に学ぶ時間をつくるのも面白いでしょう。


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