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武士道精神の変化

武士は戦時には大いに活躍します。しかし、戦争がなければ武士は不要になり、いわゆる「禄を食(は)む」だけの状態が続くことになってしまいます。平和な時代が続くと武士は出番がなく、武士道精神は陳腐化しやすくなります。

武士道精神の変化

江戸時代は太平の世でありながら武士道精神を維持していくという、微妙なバランスの時代だったといえるかもしれません。実際に武士階級は官僚化し、武士道精神も陳腐化した部分もあるでしょう。しかし、戦争が無いからこそさらに精神が強化されてたという部分も多く見られます。天下はすでに統一され平和な時代が続きながらも、武士たちは平和ボケをしてはならないとばかりに日々鍛錬に励み、なにかあれば主君のために命を投げ出す準備をしていたのです。
時代はさらに明治へと移ります。武士という階級は廃止され、四民平等の時代となります。俸禄を貰って生活していた武士は急に商売を始めなくてはならなくなり、散々な思いをすることになります。武士道精神は急速に失われ、社会は合理主義・利益優先主義に飲み込まれて行きます。しかしそんな中でも政治や経済の場で武士道精神を引き継ぐ者が出てきています。
武士はいなくなっても決して武士道精神が無くなったわけではありません。あるいは大和魂と名前を変え、あるいは名もないままに人々の思想の根底にある規範として生き続けてきたのです。
武士道精神は今でも、日本人の行動様式に何らかの形で影響を与えています。それは時として人々を現代社会に合わない非合理な行動へと駆り立てることもあります。

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武士道精神

武士と侍(さむらい)
日本には過去、武士という階級の人、あるいは侍(さむらい)と呼ばれた人がいました。武士と侍は多くの場合同義語としてとらえられています。ところで武士とは、また侍とはどんな人たちのことを指すのでしょうか。
源平の戦いと兵士の士気
なぜあれほどまでに勢いのあった平家が源氏によって滅ぼされたのでしょうか。源平の戦いを見ると兵士の士気、そして兵を率いるものと指示を受ける兵卒たちの心のつながりに大きな違いがあることを感じます。
戦国時代と武将たち
武士道精神というものは、ある一人の人の教えから発生したものではありません。数多くの武士たち、とりわけ武将たちの、自ら語ることのないさまざまな行動が評判となり、言い伝えとなって熟成されていったものです。
武士道精神の変化
武士は戦時には大いに活躍します。しかし、戦争がなければ武士は不要になり、いわゆる「禄を食(は)む」だけの状態が続くことになってしまいます。平和な時代が続くと武士は出番がなく、武士道精神は陳腐化しやすくなります。
新渡戸稲造の「武士道」
新渡戸稲造は「武士道」という英語の本を著作しています。新渡戸稲造の「武士道」は武士の思想と行動規範について解説したものです。この書は武士道とその精神について解説した唯一の本だともいわれています。

武士道の悲哀と危険

損をする生き方
武士道に生きる、それは損をする生き方なのかもしれません。武士は主君に絶対的忠誠を誓い、場合によっては自ら命をも投げ出します。たとえ貧困にあえいでいても名誉を重んじ、決して誰にも媚びることはありません。
使い捨てにされる存在
武士は国を守るため身を捨てて戦う存在です。主君に絶対的忠誠を誓い、戦争となれば全力で敵と戦います。戦うために日々鍛練を積み、また精神修養をしていつでも命を投げ出す覚悟をしています。
明確さと論理性の欠如
武士道とは戦う者である武士の心構えであり、覚悟です。また独特の美意識によって生きることであり、そして死ぬことです。武士道の教えには理屈が示されず、ただ行動規範のみが示されるところが少なくありません。
主君に恵まれない武士たち
日々鍛練と精神修養を積み重ね、勇猛果敢でいつでも死ぬ覚悟をしている武士たち、高い忠誠心を持った武士たちが必ずしも良い主君に恵まれるとは限りません。むしろ、主君に恵まれない武士たちの方が少なくありません。
濫用される切腹
「武士に二言はない」という言葉があります。名誉を重んじ、変節を嫌った武士は、一度言ったことを決して撤回せず、必ず実行するという意味です。実行できないのであれば責任をとる、すなわち切腹することになります。

現代日本と武士道

武士は品格を語らず
武士は武士らしくしなくてはなりません。武士として恥ずかしい言動や行為は慎まなくてはいけません。武士は周囲から笑い物にならないよう、常に自分自身を磨き、品格を高めていかなくてはなりません。
大量消費と肥満
今は大量消費の時代といわれています。世の中は物にあふれ、おびただしい数の商品が市場に出回っています。飽食の時代ともいわれ、たくさんの人たちが食べすぎの運動不足で肥満体質になっています。
勇気なき内弁慶
外へ出たら弱弱しくいくじなしなのに、家に帰ったら威張り散らす人のことを「内弁慶」といいます。「内弁慶」であることは、武士道精神から程遠いだけでなく人間としてもあまり尊敬できないことです。
親子の愛情と絆
武士たるもの主君への日ごろのご恩に報いるべく、いざというときには命を投げ出して戦います。いかに意義のある死を遂げるか、それは武士の重要な目標のひとつといえるかもしれません。
光と影
武士というと勇猛果敢、立派で輝かしい勇者のことを思い浮かべるかもしれません。確かに、戦いの場で活躍する武士は輝いて見えることでしょう。戦場はまさに、武士たちにとっての晴れ舞台です。

武士道のこれから

生きること
武士道は死ぬことであるとともに、生きることでもあります。命はすべて大切で尊いものです。ですからどのような命も無駄にして良いものではありません。武士道精神は無駄な死、無意味な死を徹底して嫌います。
鍛練と精神修養
よく武士道と対比される言葉で「匹夫の勇」という言葉があります。匹夫の勇とは、考えることをせずただ血気盛んに暴れたり、突撃したりするような人の心をさします。勇猛果敢に見えますが、実のところものごとを考えていないだけなのです。
子は親の背中を見て育つ
子は親の背中を見て育ちます。子供を教育、育成するためには、まずは親自身が手本を見せることです。親が節制して、日々鍛練と精神修養を怠らずにいれば、子らも自然と親のすることを見習うようになるものです。
神仏を尊ぶ
武士は神仏を尊びます。なにしろ戦場ではたくさんの人が死にます。自分が人を殺すこともあれば、殺されることもあるかもしれません。人の命ははかないもの。だからこそ命を大切にする気持ちが武士には必要なのです。
浪人もまた人生
人生にはいろいろなことがおきます。上り調子のときもあるでしょうが、坂を転げるように落ちるときもあります。進むべき道を見失い、何をしていいかわからないまま浪人生活を強いられることもあります。

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