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禅と坐忘

禅のことを調べていくと、「坐忘」という言葉につきあたることがあります。坐忘はとらわれていたものすべてを捨て、大いなる悟りの道に通じるための、いわば「忘れる」「捨てる」プロセスと考えることができます。

禅と坐忘

「坐忘」という言葉は、荘子の内篇に見ることができます。荘子というのは道教の始祖のひとりとされるひとであり、またその人が書いたとされる書物をさします。
その書物の中で儒教の始祖とされる孔子(仲尼)とそのもっともすぐれた弟子といわれていた顔回が、およそ以下のような会話をします。
・・・
まず、顔回は孔子に「私は仁義を忘れました」と言います。孔子はそれを良しとし、でもまだ足りないと言います。
後日、顔回は孔子に「私は礼楽を忘れました」と言います。孔子はそれを良しとし、でもまだ足りないと言います。
さらに後日、顔回は孔子に「私は坐忘しました」と言います。そこで孔子は姿勢を正し、坐忘について顔回に問います。
顔回は答えます、「身体を落とし、音や明かりを退け、形を離れ知を去って、大きな流れと一体になる、これを坐忘といいます」
すると孔子はそれをほめたたえ、顔回の後に従いたいと言います。
・・・
仁義とか、礼楽というのは、儒教のなかでも最も大事な、学ぶべき教えです。それを忘れることを孔子が良しとし、さらに坐忘の話を聞いて弟子に従いたいなどと師匠が言い出すとは、おおよそ常識的には考えられないことです。
私たちは子供のころからいろいろなことを学び、いろいろな知識を得ています。また、社会生活を営むにあたって、さまざまなことを「常識」という形で身に着けなくてはなりません。
しかし、知識・常識は、人を縛ります。学んだことは、知らず知らずのうちに人の考え方や行動のしかたを縛り付け、制限してしまいます。ですから、知識・常識を持ったままだと、それらに縛り付けられてしまって、かえって前進することができなくなります。
そこで荘子は「坐忘」により、学んだこと、知っていること、持っているものをすべて捨てることを説いたと考えることができます。すべてを捨てることで初めて、大通に同ずることができると。
禅は、この荘子の「坐忘」の考えを少なからず取り入れているようです。
仏教においては、お釈迦様の教えを第一とし、経を読み、瞑想し、厳しい修行を積んで涅槃にいたろうとします。
しかし、悟りを開きたいと思うこと、お釈迦様の教えにこだわること、厳しい修行をすれば涅槃にいたれると考えること、それらも実は悟りに至る道を妨げる「とらわれ」なのかもしれません。
すべての「とらわれ」から解放されるためには、自分が「一番大切だ」と思っている物事もすべて捨てなくてはならないのですから。


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禅の意味

禅とは
禅とは瞑想のことをいうようです。仏教において坐禅による修行を中心とする宗派が主に禅宗と呼ばれています。禅は心を落ち着け、精神を集中させること、あるいは自らの内面に仏性を見ることだとも言われています。
古代インド仏教の修行
古代インド仏教において、修行者たちは世を厭い喧騒を離れて修行にいそしみました。当時の修行方法や瞑想に対する考え方などは、禅の修行方法に今でも影響を残していると言われています。
中国と禅
禅は中国で成立したと言われています。南インド出身とされる達磨大師が中国で教えを伝え、また中国にすでにあった大乗仏教や儒教・道教などの中国独自の思想と融合したのが中国の禅と言われています。
日本と禅
日本は仏教国といわれるだけあってお寺もたくさんあります。禅宗として分類されるお寺も相当数あり、禅の修行僧も決して少なくないようです。現代日本人の価値観・考え方にも禅の影響が少なからずあると思われます。
瞑想はするのか
坐禅は何をするのでしょうか。とりあえず坐るとして、それからどうするのでしょうか。修行者たちは坐禅したら必ず瞑想するのでしょうか。それとも、坐禅と瞑想とは無関係であり、瞑想はしないのでしょうか。 瞑想をするのかどうか、その答えを考える前に、もういちと仏教の根本に立ち返ってみましょう。
禅と坐忘
禅のことを調べていくと、「坐忘」という言葉につきあたることがあります。坐忘はとらわれていたものすべてを捨て、大いなる悟りの道に通じるための、いわば「忘れる」「捨てる」プロセスと考えることができます。

禅と人物

達磨大師
禅宗は達磨大師に始まるといわれています。禅の厳しい修行や、公案あるいは禅問答といわれる不可解とも思える会話も、達磨大師の教えが基礎となっているそうです。ここでは達磨大師について少し見ていきましょう。
栄西禅師
栄西禅師は日本の臨済宗の開祖とされています。比叡山に入り天台密教を学ぶものの、天台宗の堕落を目の当たりにし南宋への留学を決意しました。そこで、当時南宋で勢いのあった禅を学び日本に広めました。
道元禅師
道元禅師は日本の禅宗に多大な影響を与えている人です。出家し天台教学を学んだ後栄西禅師を尊敬するようになり、南宋に渡って中国曹洞宗の禅寺などで修行しました。道元禅師は日本の曹洞宗の開祖とされています。
一休和尚
一休和尚は室町時代のひとです。「とんちの一休さん」として多くの説話が残されていることで有名です。詩や狂歌を残しているほか、その奇異とも思える生涯から「風狂の禅僧」「破戒僧」として知られています。
沢庵和尚
沢庵和尚は安土桃山時代から江戸時代にかけての人です。臨済宗の僧であり、のち東海寺の住職となります。茶道、書画、詩などをたしなんだほか、たくあん漬けの考案者、禅と剣術を結びつけた人として知られています。
鈴木大拙
鈴木大拙というひとはアメリカに渡り禅についての書籍を多く残した人です。特に禅についての英文の書を出版することによって日本の禅をアメリカ、ヨーロッパに広く知らしめた人として有名です。

禅と健康

坐禅と身体の健康
坐禅は必ずしも身体に良くありません。もし健康のために坐禅を組もうかと思っている方は、思いとどまった方が良いかもしれません。坐禅を無理に続けることは場合によっては心身の健康を害することになります。
精神の健康と坐禅
坐禅を組むと精神が安定し、気持ちが落ち着くと言います。社会生活などで病んだ精神を落ち着けるのに、坐禅が有効だといわれています。一方で禅の修行により、精神がすり減ってノイローゼになることもあるようです。
健康的な食生活と禅
心身の健康のためには健康的な食生活が欠かせません。古来より禅では食生活について細かく規定されています。禅の食生活は果たして健康的なのでしょうか。ここでは、健康的な食生活と禅についてみていきます。
少林拳・一指禅功と禅
達磨大師が洞窟で坐禅したといわれる嵩山少林寺はまた、少林拳の鍛錬でも有名です。また、一指禅功という気功の修練法も達磨大師を起源としているようで、これらは源流にて禅とかかわっているようです。
ヨーガと禅
ヨーガはインドにて生まれたさまざまな修行法を総称していいます。一般的には呼吸法やさまざまなポーズ、太陽礼拝などによるエクササイズとして知られています。

禅と教え

教えないという教え
禅の教えは「教えないこと」にあると言っても過言ではないかもしれません。あえて苦しい修行をさせ、不意を衝いて困らせ、ギリギリまで追いつめて悩ませるのは、「自分で見つける」ことの大切さを教えるためです。
瓦を磨いて鏡にする
坐禅による修行は「瓦を磨いて鏡にする」行為にたとえられることがあります。「瓦を磨いても鏡にならないのであれば、どうして坐禅して仏になれるのか」というのです。実際、瓦を磨いて鏡になるのでしょうか。
南泉斬猫
「南泉斬猫」というのは禅の公案のひとつです。有名な公案で広く取り上げられ、様々な解釈がされています。例えば三島由紀夫の小説「金閣寺」では、この公案の解釈がストーリー進行上の重要なテーマになっています。しかし難解なためか、なかなかこれといった解釈にたどりつけないことでも知られています。
仏性はどこにある
仏性はおのずと人の心の中にそなわっているという説があります。一方で、生来仏性が備わっている人は少なく、修行によってのみ仏性を備えることができるとする説もあります。一体、仏性はどこにあるのでしょうか。
仏教にとどまらない
禅は仏教のみにとどまるものではありません。仏教を基礎としつつも、禅はあらゆる思想・宗教・文化と対立することなく影響を与えていくことができます。禅は世界に広まるとともに、その幅を広げています。

禅とビジネス

宗教とビジネス
古来よりビジネスと宗教は密接なつながりを持っています。商業が発展する地域ではさまざまな宗教が流行します。信者たちの商売が繁盛すればおのずと寄進も増え、宗教を広める団体も潤うことになります。
ビジネスと経営哲学
経営哲学をどのように掲げ、実践していくかによって、ビジネスの将来は大きく左右されます。従業員が働く意欲を感じ、消費者が信頼し、社会が高く評価するのは、経営者の掲げる経営哲学によるところが大きいです。
禅と修行とメンタルマネジメント
禅の修行を社員教育に取り入れている企業があります。また、坐禅はストレスや悩みを抱えたビジネスマンに効果があると言われています。ここでは禅と修行とメンタルマネジメントについて見てみましょう。
ビジネスと因果の法則
ビジネスで何らかの結果が出た場合、そこには必ず原因があります。結果と原因のつながりである因果関係は直接的でわかりやすい場合もあれば、複雑で原因が分かりにくい場合、あるいはわからない場合もあります。
海は水を拒まない
海は低いところにあります。あらゆる水が海へと流れていきます。海は広大で大きく、どんな水も拒みません。海があんなに大きいのは、あえて低いところにとどまり、あらゆる水を受け入れて拒まないからです。

禅と政治

政治家・国民と禅
政治は国づくりです。目先の課題を対処してくだけでなく、将来を見据えたうえで、どのように国をつくっていくかを考えるのが政治です。禅の教えは政治家が国づくりをしていくうえでも大いに学べるところがあります。
国家権力と禅宗
時代により、地域により、国家権力と禅宗の関係は様々に変化してきました。国の保護を受け信者が増え禅がとても盛んになった時代・地域もあれば、迫害され弾圧の対象になり禅が衰退した時代・地域もあったようです。
政治とお金
政治は大きなお金を動かします。大きなお金を動かす政治家は人々の生活に責任があります。政治家は貧富の差が生じる原因を見極めつつ、政策を打ち出していくことで利益の善巧(ぜんぎょう)を廻らすことが大切です。
禅とカルト
禅の教えの一部やその修行方法が、いわゆるカルトと呼ばれるような宗教教団に利用される場合があります。禅とカルトとは区別されるべきですが、その使われ方には共通する部分もあり、境界があいまいになっています。
外交
国家において外交は政治の要です。外交をおろそかにする国は滅びます。外交するのは自国の利益のためですが、目先の利益だけを追いかけるのではありません。大切なのは外国を信頼させ、従いたいと思わせることです。
子どもたちへの教育
子どもたちにどのような教育をするかは国家政策における一大事です。子どもたちに施す教育の内容によって国民性は変化し、国の文化、国民の知性、経済、社会秩序、治安、自然環境が大きく影響を受けることになります。

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