国家繁栄論>国家の存在理由
国家は国民が帰るべき家として、安心して生活できる場所でなくてはなりません。そこには生活の基礎となる居場所や仕事とともに、仲間がいて、力を伸ばすための競争があって、心豊かになる文化があって、いつでも学べる教育システムがあると良いでしょう。国家は国民がより豊かになるためのチャンスを提供し続けることが必要です。国民がここで一生を過ごしたいと思うような場所であり続けることが、国家の存在理由です。
国民は国家に対して忠誠を誓い、国内法を順守し、他の国民と調和し、良き社会秩序に従い、家庭内の円満を図り、国家の繁栄に貢献すべく良く学びよく働くこと約束しなくてはなりません。これらに従うことを条件に、国民はその国家で安心して生活することができます。国家が国民に報いるとともに、国民が国家に報いるのです。
国家は人で成り立ちます。国家は国民に支えられることによって成り立つことができるのです。国家が国民に支えられるためには、国民が国家に対して親しみや敬意を抱くとともに、国家に希望を感じ、そこでずっと生活し、その国家のために働きたいと思うことが大切です。
国民が国家に対して親しみや敬意を抱くことができず、国家に絶望し、そこから出ていきたい、こんな国家のために働きたくないと思うようでは、国民は国家を支えようとはしないでしょう。国家が国民に支えてもらうためには、国家は国民に何かを提供しなくてはなりません。その「何か」とは何でしょうか。
国家が国民に提供すべきものの第一として考えられるのは「生活の基礎」です。国家は国民が安全で安心して暮らせる場所を提供できなくてはなりません。国民の安全が守られないのであれば、国家として信頼されることはありません。
空気、水、食料、衣類、住居、道路、通信設備、燃料など、生活するうえで必要なものが安定して供給されることは、国民が安心して生活を続けるためにも重要なことです。
国家として、国民が喜んで生産性を高めていくことができる環境づくりをしていくことも大切です。国家全体の生産性は国民の生産性に依存しています。国民が自主的に生産性を高めていかなくては、国家全体の生産性はなかなか高まっていきません。国民が同じ仕事の繰り返しをするしかないような、システムの「固定化」を国家がしてしまうと、国家の生産性は上がってこなくなります。国家が国民の生産性向上に対する足かせになってしまってはいけません。むしろ国家は、国民が自主的に生産性を高めていくような環境をつくり、支援していく存在であるべきでしょう。
必要であれば国家が国民に仕事を与えるのことも必要でしょう。そういった場合に与える仕事は国民に対し生産性向上を意識づけるものであることが大切です。
国家は国民が仕事をするにあたって著しい不満や不公平感が生じないよう、労働環境づくりをしていかなくてはなりません。どんな仕事にも不満や不公平感はあります。しかしそれが著しくて国民の不満が増大すると、不要な争いや暴動に発展し、場合によっては国家が不安定になるおそれもあります。国民が前向きに働き、自主的に生産性を高め、なおかつ満足度が高くなるにはどうすればいいか、しっかり考えて労働環境づくりをしていきたいものです。
人には仲間が必要です。信頼できる仲間がいれば、その場の居心地はずっと良くなります。国家は国民に仲間を作る場を提供して、そこの仲間同士で協力し合うよう促していくことが大切です。仲間がいる居心地の良い場所であれば、国民は安心するでしょう。地域のコミュニティを活性化していくのも、国民の帰属意識を高めるには有効です。
国民が積極的に学び、働き、そして生産性を高めようとするのを促すには、公正で健全な競争があると効果的とされています。国家は国民が競争をするとき、それが公正で健全であるよう監視し、維持することが大切です。大切なのは競争によって、国家全体の生産性が向上し、国力が増大することです。競争において足の引っ張り合いや不正が横行し、かえって国力が衰えるようではいけません。競争を取り入れるのはあくまで国家繁栄に貢献するためです。国家繁栄に貢献しない競争は、とりやめてしまうか、少なくとも修正が必要です。場合によっては、国民に競争させるのではなく、協力しあうように指導した方が国家の繁栄には貢献しやすいです。
国家はまた文化が発展しやすい環境づくりにも力を入れると良いでしょう。文化が貧弱だと国民は海外文化ばかりに目を奪われてしまいます。場合によっては劣等感を持つようになるかもしれません。逆に、国内に豊かな文化を育み、海外にも広く発信できるようであれば、国民は自国の文化に誇りを持つことが出来ます。国民が国家への帰属意識を高め、国家に誇りを持つことができるようになるためにも、豊かな文化の発展を促していくことが大切です。
国家として国民の教育に力を入れましょう。国民は国家の宝です。宝を輝かせるためには、しっかりと磨くことです。国家が教育の質向上に取り組まず、国民がより良い教育を受けられないと、国家は危うくなります。国民教育の発達は国家の繁栄には不可欠です。
国家として国民にチャンスを与えましょう。国内にチャンスがなければ、能力のある国民は国外に出て行ってしまいます。国家は直接国民にチャンスを提供するか、あるいはチャンスが増えるような環境づくりをしていくことが大切です。多くのチャンスがある国家では、国民はそれぞれのチャンスを目指して努力し、それを掴み取ろうとします。チャンスの多い国家は繁栄しやすいです。
国家は国民にとって、一生住みたい、ずっと居たいと思う場所でなくてはなりません。国民が帰るべき家として、安心して生活できる場所であってこそ国家としての存在意義があります。国民が生涯にわたって活躍できるよう、より良い環境づくりを続けていくことが国家の役割です。
国家は人で成り立ちます。国家を構成するのはその国家に所属する国民です。国家が繁栄するとは、その国民が富むことです。国民が豊かにならずして国家の繁栄は成り立ちません。多くの国民が富むためにも、企業活動を活発にし、経済を発展させていく必要があります。そのためには、人や企業が活き活きと活動できるような環境づくりが必要です。
国家は国民が帰るべき家として、安心して生活できる場所でなくてはなりません。そこには生活の基礎となる居場所や仕事とともに、仲間がいて、力を伸ばすための競争があって、心豊かになる文化があって、いつでも学べる教育システムがあると良いでしょう。国家は国民がより豊かになるためのチャンスを提供し続けることが必要です。国民がここで一生を過ごしたいと思うような場所であり続けることが、国家の存在理由です。
国家は国体を尊重しなくてはなりません。国体が汚され、あるいは国体そのものが失われてしまうようでは、国家が落ちぶれるどころか、国家としての存在理由すら失ってしまいかねません。国家は国体を永続的に尊重すべきであり、決してなおざりにしてはなりません。国家は国体によって成り立ち、国体は国民に支持されることによって成り立つのです。
危機管理は国家の重要課題です。国家を陥れる危機を予測し、把握し、管理していくことは国民が安心して生活するためにも必要不可欠です。直接的でわかりやすい危機としては外国の軍事的脅威や災害、疫病、犯罪、国内での暴動などが考えられますが、危機はそれだけではありません。政府や国民の怠惰や悪習も、ゆっくりながらじわじわと国家を破たんの方向へと導いていく見えにくい危機です。
国家はインテリジェンスを駆使して自らの存続、発展をはかっていかなくてはなりません。知識や情報を上手く国家の存続や発展に寄与させていくためには、インテリジェンスとその積極的活用が不可欠です。国家を繁栄させるためにも、国民がインテリジェンスとその活用をしっかり学ぶことが求められます。
国家の繁栄のためには教育は欠かせません。国家がどのように教育をしていくかによって、国家の運命は大きく変わります。繁栄する国家は教育にしっかり力を入れています。教育は時代と共に発達させていかなくてはなりません。偏った時代遅れな教育を続ける国家はだんだん衰退していきます。どのような教育にしていくかは国家の繁栄を左右する重要課題です。
国家が繁栄するためには、なによりも国家自身が健康であることが大切です。国家が病気を抱え、元気を失っている状態では、繁栄どころか、存続すら危うくなります。健康を維持するためには、国家を蝕む病気を治療・予防するとともに、つねに健康状態を保つための習慣づけをする必要があります。国家の健康は、国民の安全と健康のためにも重要です。
国家が繁栄するためには、産業の発達が欠かせません。産業が発達すれば、雇用が増え、人々の収入が増えることが期待できます。収入が増えて人々が豊かになれば、自然と税収も増え、国家予算を増やすこともできます。うまく産業を発達させるには、国家として何をどうするべきでしょうか。産業発達のための環境づくりをすることが、国家を繁栄させるには重要です。
軍事は国家の重大事です。軍事をおろそかにする国家は滅亡します。国民や国家の資産を外国の脅威などから守るためにも、国家はしっかりと軍事力をつけておかなくてはなりません。しかし、軍事費を膨張させすぎると国家にとっては大きな負担になります。国家を繁栄させるために軍事をどうしていくべきか、国民はしっかり考えていかなくてはなりません。
国家は国民が安心して暮らせるよう、福祉と防災に努めなくてはなりません。福祉として国家がやれることはたくさんあります。また災害はいつどのような規模でやってくるかわかりませんから、常に備えておかなくてはなりません。しかしながら、福祉や防災が国家の財政を圧迫し、国家の運営を危うくするようではいけません。
国家を運営するには国費がかかります。国費は基本的には国民から強制的に徴収する「税」によって賄われます。税をどこからどのようにどのくらい徴収するかによって国家の運営は大きく変わってきます。租税のありかたによって市場経済や国民の生活、国家の防衛力、貧富の格差、不正や治安、国民の教育レベルなどが影響をうけます。国家は中・長期にわたって国家が繁栄するような租税のありかたを見つけ、採用していかなくてはなりません。
国家が繁栄しているかどうかは結局のところ、その国民がどのような生活をしているかによって決まるといっていいかもしれません。多くの国民が苦しく、みじめな生活をしているのでは、その国は繁栄しているとは言えないでしょう。国家の繁栄にはなによりも、国民生活の全体的な向上が必要です。国民の生活が良くならなくて国家の繁栄はありません。
国家はいやおうなく国際政治に巻き込まれます。国家は自国の主権と国民を守りつつ、国際政治の中で生き抜いていかなくてはなりません。さらに、国家が繁栄していくためには、国際政治に振り回されないよう自国の政治体制を強化するとともに、国際政治での存在感や発言力を強めていくことが求められます。世界各国も思惑が交錯する国際政治の中で国家繁栄を目指すには、長期的なプランと地道な発展努力が求められます。
国家はその存続のために戦争をしなくてはならないときがあります。戦争は、国力を著しく消費し多大な被害をもたらします。それでも、戦争に勝利すれば国家としての強さを示すことができます。しかし場合によっては国家がきわめて弱くなり、国家そのものが滅亡してしまうこともあります。戦争を選ぶのも、戦争を回避するのも、国家にとってはリスクがあります。戦争は短絡的に考えてはならない極めて重大な問題です。
経済のグローバル化は進んでおり、国内の動向だけを見ているようでは国内経済はうまく発展しません。世界の経済動向を見たうえで、その中で国家経済の発展を目指していく必要があります。いまやどこにいてもグローバル経済の影響を避けられず、国家の繁栄のためにも世界の中での競争力向上に取り組むことが求められます。
国家は、国民たちがそこにいて幸せを感じるような場所であることが好ましいでしょう。国民の大多数がより幸せになるような政策を追求していくことが国家には求められます。国家が繁栄するためにも、国民が豊かになるとともに、幸福感が増していくことが望まれます。まずは、国民が幸せになるにはどうすればいいか、しっかり考えていきましょう。
国家は歴史をつくります。せっかく歴史をつくったからには、それを国家の繁栄のために活用していきたいものです。国家の歴史を読むことによって、国民が勤勉になり、過ちを犯さず、国家のさらなる繁栄のために尽くそうと思うのなら、そんな好ましいことはありません。歴史をつくっていく際には、後世にその歴史を読んだ人がより良い国家づくりを目指そうとおもうような歴史にしていきたいものです。
国家はその活動によって様々な遺産を遺します。国家が残す遺産を見て、後世の人々はその国家を評価することでしょう。どのような遺産を遺すかが、その国家の将来的価値を決めるといっても過言ではありません。国家が活動をするときは、それが将来にどんな遺産として残り、それが後世にどう評価されうるのか、意識しておいた方がいいかもしれません。