持続可能な開発目標(SDGs)と企業の行動方針について>4「質の高い教育をみんなに」
SDGsの4番目は「質の高い教育をみんなに」です。目標は「すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し、生涯学習の機会を促進する」としています。教育とは教え育てること、未成熟でそのままでは問題となる人々を何らかのより良い方向に導いていくことをいいます。質の良い教育を受けられなければ失敗しトラブルをおこし社会で役に立たず物事がわからず正しい行動がとれなくなって、場合によっては人にとっても社会にとっても大きな損失になってしまいます。人々がより良い生活を実現していくためにも、また社会全体がより好ましくなっていくためにも、良質な教育を広く普及させていくことはとても重要です。
社会において教育はどのような意味を持つでしょうか。教育とその質は私たちにどのような影響を与えるのでしょうか。教育の質が低いと人々はどのようになるのでしょうか。質の高い教育が偏った人にしか受けられないことで、社会はどのような影響を受けるでしょうか。そもそも、教育の質とは何でしょうか。
質とはものの中身であり、良し悪しであり、他のものと区別する基準です。つまり、一般的・平均的な教育があって、それに対して何らかの判断基準によって「質の高い教育」とか、「質の低い教育」とかいう分類がされるのです。国連がどのような判断基準によって「質の高い教育」を定義しているのかはわかりませんが、例えば高収入あるいは地位の高い人々が受けた教育あるいは子供に受けさせる教育、試験などで成績上位の生徒を数多く輩出する教育、高名・優秀な講師陣が少人数クラスあるいはマンツーマンで丁寧に教えてくれるコスト高い教育などが一般的に質の高い教育と考えられています。
それでは、質の高い教育をみんなに受けさせれば、どうなるでしょうか。その質の高い教育は社会においてはすでに「質の高い」ものではなくなります。つまり、みんなが受ける教育なのですから、それが一般的・平均的な教育となり「質が高い」とはいえなくなるのです。富裕層は自分たちの子どもにもっと質の高い教育を受けさせようとするでしょう。また、あまりにも質の高い教育を全員に施そうとすると、多くの生徒たちがついて来れなくなるおそれがあります。今までよりも質の高い教育を導入することで教育コストがかさみ、本人や社会への負担が過大になるおそれもあります。
「質の高い教育をみんなに」とは耳触りの良い言葉ですが、実際には永遠に実現できないおかしな目標です。
教育の目的は未成熟でそのままでは問題となる人々を何らかのより良い方向に導いていくことです。たとえ未成熟でも自主的に学び、意欲的に成長しようとする人と、学ぶ意欲も未来へのビジョンも持たない人とでは、全く同じ教育を施しても結果は全く違ってしまうことでしょう。より良い結果を求めるのであれば、それぞれの性格や考え方、将来へのビジョンなどを踏まえ、個別に異なる教育をする必要があります。しかし一方で、全員に画一的な教育を施さなければならないという考えもあります。子どもを小さいうちに選別してしまって異なる教育を施すというのは、教育機会の不平等といわざるを得ません。とりわけ本人に才能や意欲があっても、親の収入が低いなどの理由によって質の高い教育が受けられないのは、本人にとっての損失になるだけでなく、優秀な人材になりうる人を埋もれさせてしまうという点では社会全体の損失にもなるでしょう。
全員に画一的な教育を施すべきか、本人の個性や意欲・能力等によって個別に異なる教育を施すべきかは、教育の質向上に取り組むうえでの重要な課題です。
「質の高い教育」を実現するには、教育者が質を高めようとする努力をしなくてはなりません。生徒が興味を持ち、面白く、役に立ち、難解なことを理解しやすく、本質を正しく的確に伝え、なおかつ時代の変化にも適切に対応できるような教育をしていくにはどうしていけばよいか、教育者たちや社会の人々が智恵を出しながら教育のレベルを高めていく必要があります。教育者に競争意識を持たせることもある程度必要かもしれません。公立の義務教育の先生は画一的な教育をしなくてはならず自由度が少なく、往々にして教育がマンネリ化しがちだといわれます。一方、プライベートスクールや学習塾の先生は生徒が良い結果を出すための競争意識が高く、意欲的な講師もいていろいろな工夫をしています。国家全体の教育の質を高めていくためには、立場を越えて教育に関わる人々の工夫や知恵を集め、全体の質が向上していくような取り組みをしていくことも必要かもしれません。
教育は、その人に必要なことを、その人に必要なタイミングで、その人が必要だと感じながら学ばせることによって最大の効果をあげることができます。必要性を感じない物事をえんえんと教え続けるのでは、生徒たちは興味を持たず、退屈し、学ぶことを嫌うようになっていまいます。知識を得ても、それをスグに使わなければ持ち腐れになってしまいます。教育をしても、それを活用する場が無ければ意味がありません。それに、学校で教えていることと社会で常識とされていることにギャップがあれば、生徒はそのギャップに悩むことになります。場合によっては、学校の先生はウソツキだ、社会に出たら学校で教えられたことは役に立たないじゃないか、と学校を憎むようになるかもしれません。
時代の変化によって教育も変化します。昔の教育と今の教育ではさまざまな違いがあります。昔の教育を受けた人々は、だんだん社会の変化についていけなくなっていきます。
学習は若いうち、子どものうちにだけすれば良いものではありません。社会の変化と共に、人々は常に新しいことを学んでいく必要があります。学ぶのをやめれば人は社会から取り残されていきます。生涯学習の機会を促進させていくことによって、人々が社会からドロップアウトするのを防ぎ、またドロップアウトした人が再び社会で活躍できるチャンスをつくることができるでしょう。
企業活動をするうえでも、質の高い教育を受ける機会を広めて優秀な人材を育成・発掘すること、また生涯学習の機会を促進させていくことによって社会で活躍できる人々を増やしていくことは大切なことです。自社の人材育成のみでなく、地域貢献・国際貢献の立場からも質の高い教育を普及し、生涯学習の機会を促進させていくことは重要な課題です。
なお、国連は「質の高い教育をみんなに」に関して10項目の具体的なターゲットを設定しています。実際に「質の高い教育をみんなに」の目標を実現していくためにも、これらのターゲットについても見て、考えていきましょう。
初等教育及び中等教育は人間教育の基礎であり、すべての子どもたちが無償でそれらを受けられることは大切なことです。でも、それで十分ではありません。大切なのは、初等教育及び中等教育の質です。教育が男女によって区別され、適切でなく、効果的な成果が得られず、公正でなく質が高くなければ、その教育は十分なものとはいえません。無償で提供される初等教育及び中等教育も、より効果的な成果をもたらすよう工夫し、より公正で質を高めていく努力を続けていかなくてはなりません。時代は変化します。日々新たな技術が生み出され、研究は積み重ねられています。教育においても日々検証と改善を続けるとともに、より質の高いとされる教育スタイルを検証しながら導入していくとともに、生徒一人一人が個別に効果的な成果をあげられるよう弾力的な教育運営が行われることが求められます。
企業においては、教育機関で教育を受けた人々を労働者として受け入れ、あるいは経営幹部候補生として社内でさらなる教育育成をしていくことになります。その際、彼ら従業員等について戦力として足りないところがあれば教育しなおしたり、企業独自の教育を加えたりする必要が出てくるかもしれません。勉強ができ、優秀な成績で学位が取れても、その人が企業ニーズに合った人材で仕事ができるとは限らないのですから。
また逆に、新しい教育を受けた若い世代が会社に入ってくることによって、中高年世代の古い考えと対立することもあるでしょう。もしかしたら、企業自体が考えを修正していくため、中高年世代の再教育が必要になるかもしれません。企業としても最新の学校教育の動向を知るとともに、将来より良い人材を確保するためにも効果的な成果のあがる教育の質向上のために国・行政や教育機関に働きかけ、あるいは連携していくことが大切になってきます。
また、海外へ進出する際にはその進出先の国の教育事情も知っておくと良いでしょう。現地の学校等と連携してそこの教育の質を高めていくことによって、より好ましい人材を確保していくことも大切な戦略の一つといえるかもしれません。
乳幼児の発達・ケア及び就学前教育は子どもの心身成長に大きく影響します。実際、就学前に経験したことが子ども将来に大きな影響を与えるといわれています。乳幼児の発達・ケア及び就学前教育の質の優劣は子どもの将来を大きく左右する重大事です。
乳幼児の発達・ケア及び就学前教育の内容とその後の子どもの成長とは何らかの関連性があるはずです。そしてそれは初等教育及び中等教育の成果のあがり方と大きく関係してくることでしょう。ですから、乳幼児の発達・ケア及び就学前教育はそれらのみで質の向上を図るのではなく、その後の子どもたちの成長や初等教育以降の成果を見ながらフィードバックしていくことが大切になってきます。
企業においては、時代や地域、学校等によって受けた異なることを踏まえたうえで人材育成・人材配置をするとともに、末永く企業と従業員との関係を良好に保つためにも、子育て世代である従業員の乳幼児の発達・ケア及び就学前教育の充実のための支援をしていくことが大切になります。
技術教育・職業教育あるいは大学などの高等教育はそれを受けることにより人々が専門知識や技能・技術・専門知識を身につけて社会の生産性向上に貢献することが期待されます。専門的な教育を受けた人は就職も有利になりやすく、基礎教育しか受けていない人と比べて高収入になりやすいとされています。
専門的な教育といってもその質や費用はさまざまです。質の良いものもあれば良くないものもあります。高額のものもあれば格安のものもあります。無償あるいは格安で良質な教育を提供しているところもありますし、高額で質の良くない教育をしているところも中にはあるでしょう。でも一般的には、質の高い教育ほど費用が高くなることが多いようです。
質の高い教育を受けたいと思っても、それが高額で一般の人々の手の届かないものであれば、限られた富裕層しかその教育を受けられなくなります。有能でも専門的な教育を受けるお金がなければ、知識や技術・技能が身につかず、本人の就職に不利になるだけでなく、社会全体の生産性を下げることになってしまいます。
企業においては、生産性向上のためにも社員に専門的な教育を受けさせていくことは大切です。また、有望な学生がより専門的な知識を身に着けて将来企業に就職してもらえるよう、奨学支援をしていくことも重要な企業戦略のひとつとなるでしょう。
どのようなスキルを持つかによって人々の将来は変わります。雇用され、まともな仕事に就き、あるいは起業家精神を発揮するにあたっては、様々なスキルが求められます。スキルは実務の経験により、訓練などの反復練習により、あるいは試験的運用における試行錯誤により得られます。スキルはいわば実践力であり、学習によって得られる知識とともに人々の智恵の両輪となってビジネスを前進させる原動力となります。
スキルがあると認められることによって専門家として人々から仕事を任され、あるいは信頼されることができます。
スキルがある人を増加させるには、スキルが得られる場をより多く提供することが有効です。つまり実務経験ができる場、訓練・反復練習ができる場、そして試験的運用ができる場を提供することです。また同時に、経験したことについての学び直しをする機会を提供することが大切です。
知識と経験はどちらも大切です。でも人は往々にして、知識あるいは経験のどちらかに偏って頼りがちです。また、失敗経験をすると臆病になったり、他人のせいにしたりすることもあります。経験したことがスキルアップに役立つためには、経験と学習を並行して進めることが有効だとされています。スキルを持つ人々を大幅に増やすためには、経験と学びを提供する場を増やしていくとともに、経験を積みスキルを得ることの大切さを人々に知らしめ、広めていくことも大切です。
企業においては、スキルの高い人材を増やしていくために、とりわけ若い社員に経験と学びの場を積極的に提供していくとともに、スキルアップに意欲的に全ての社員が取り組んでいくよう動機づけをしていくことが大切です。また、有望な学生等に就学時から職業経験ができるような機会を提供していくことも望ましいことでしょう。
教育における格差・不平等の現状を知りましょう。いま、教育において性別などによるどのような格差があるでしょうか。障害者など脆弱な人々はどのような教育を受け、あるいは受けられないでいるでしょうか。
教育における格差・不平等の現状を把握したら、それをどうするのが良いかを考えてみましょう。格差や不平等は、すべて不当なものであり無くすべきものでしょうか。それとも、現状の格差・不平等は正当なものであり特に無くす必要はないのでしょうか。
全ての格差や不平等を完全になくすことはできません。また格差や不平等が正当、不当かについては、人々の価値観や考え方によってその判断が異なってきます。格差を完全になくそうとすれば、多大な労力がかかり教育コストがはね上がるおそれがあります。だからといって、現状のまま何もしなくて良いというわけではありません。
社会において一般的に多数の人々がそれを正しいと考えることを社会通念といいます。社会通念上、男性に好ましい職業、女性に好ましい職業というものがあります。警察官、消防隊員、お医者さんといえば男性を想像し、看護師、保育士、経理事務職といえば女性を想像するとすれば、それは私たちが知らず知らずのうちに社会通念における職業の性差別を受け入れてしまっているということなのかもしれません。
弁護士、医者、議員などの政治家、国家あるいは地方公務員などの職業はよく女性参画率が比較・議論されます。これらの職業において女性進出が少ない国は、男女格差が大きいと考えられることが多いようです。社会での女性参画を支援し、男女格差をなくしていくためには、教育段階でのジェンダー格差をなくしていくことが必要です。また同時に、社会通念において男女格差を受け入れるような風潮について、人々の意識を変えていく活動をしていくことも大切になってきます。
脆弱な人々が教育や職業訓練を受けるにあたっての格差や不平等をなくしていくことも大きな課題です。脆弱な立場であるがためにまともな教育が受けられないのであれば、不当な不平等であると言わざるを得ないでしょう。一般社会では往々にして、脆弱な人々への対応や配慮が見落とされがちになります。彼らが普通に教育や職業訓練を受けられるためにも、社会全体が考え方や仕組みを変えていく必要があります。
企業としては自らがジェンダーに対する先入観を持っていないかを見直し、教育のジェンダー格差をなくす取り組みを支援していくことが大切になってくるでしょう。同時に、通常の従業員のみでなく脆弱な人々について、会社の戦力となるよう教育や職業訓練により育成する取り組みを進めることも今後求められてくるでしょう。
日本では「読み書き」と「そろばん」は古くから教育の基礎として重要視されてきました。現在、読み書きと基本的な計算は無償の義務教育によってすべての国民が身に着けられることとしています。ただ、義務教育を受けた人々でもその能力には個人差があります。また昨今では新聞を読まなかったりスマホの計算に頼ったりすることで読み書き能力や計算能力が低下していると心配する声もあがっています。
教育熱心な親は、子どもを学校のほか学習塾に通わせます。学習塾に通えば成績は優秀になります。学校で学ぶことはすでに学習塾で学習済みのことばかりなので、優秀な子どもたちは学校の授業を真面目に聞かなくなります。一方で、慢性的に成績の低い子どもたちも授業がキライになり聞かなくなっていきます。日本の義務教育の現場では、優秀な子どもたちも成績の低い子どもたちも真面目に授業を聞かなくなるという現象がおきます。
企業は、従業員がビジネスに必用な読み書き能力や計算能力をすでに身に着けていることを期待します。ただし、ビジネスに必用な能力と、義務教育等で教える能力とではズレがあることがあります。必要であれば企業が自ら従業員を教育し、あるいは場合によっては学校などの教育機関に教育内容の改善を求めることが大切かもしれません。
海外では、教育事情は日本と違います。海外に進出して現地採用する場合、あるいは大人になってから日本に来た外国人を採用する場合は、その人々が受けた教育事情を把握したうえで、どのような育成をして仕事をさせていくかを考えていくこと大切です。場合によっては、海外進出先の読み書き能力及び基本的計算能力向上のために支援・貢献していくことも企業活動として大切になってくるでしょう。
このターゲットを見ると、そもそも持続可能な開発とか持続可能なライフスタイルというものが現在存在しないのに、存在しないものをどうやって教育するのか、という疑問を感じるかもしれません。それでも、SDGsを推進するからにはSDGsを推進するのに必要な知識及び技能を持った人々を多く輩出しなくてはなりません。持続可能な開発にしろ持続可能なライフスタイルにしろ今は存在しなくてもこれから構築し実現していくものであり、それについて正解を知っている講師はいません。しかし正解は無くても、より好ましい方向性について考え、知恵を出し合い、道筋をつくっていくことはできるはずです。
人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、地球市民権、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解などについては、「これが正解だ」という考えを持つ人もいるでしょう。ただ全人類にとって共通の正解があるかというと、それは存在しえないのかもしれません。
世の中には「これが正しいSDGsの取り組みだ」と得意げにひけらかす人もいます。他人のしていることをSDGsの考えに合っていないと攻撃する人もいます。「自分こそが正しいSDGsを知っている」と言う人はたいていウソツキです。大事なのは争うことでなく、攻撃し合うことでなく、協力しあうことです。お互いに学び合い、協力し合おうという姿勢を持つことが、SDGsの取り組みにおいては重要になってきます。SDGsの学びの場においては先生と生徒がいるわけでなく、全員が地球という星に住み自然の摂理から学び続ける弟子なのです。もちろん経験や知識、考え方の深さによって、兄弟子・弟弟子くらいの差はあるかもしれませんが。
企業にとっては、SDGsのための社員教育を充実させていくことが一つの重要なステップといえるでしょう。さらに、そこから一歩踏み出して地域や世界に向けて持続可能は開発について企業としての考え方の情報発信、持続可能な開発をテーマにした国際交流や学び合い・協力し合いの推進などをしていきましょう。国際交流や協力によって新しい考え方が得られ企業の活性化にもつながるかもしれません。
子ども、障害及びジェンダーに配慮して施設をつくるのは、なにも教育施設に限った話ではありません。また学習環境に限らず、社会の様々な環境が安全で非暴力的、包括的で効果的であることが望まれます。
企業においても、地域や海外進出先の教育施設や学習環境の現状に関心を持つことは大切です。必要であれば施設や環境の改善を要望あるいは改善活動を支援していくことが、その地域の発展のためおよび将来優秀な人材を獲得していくために重要な意味を持ちます。また同時に、職場や商業施設なども弱者に配慮した施設にし、またすべての人々に安全で非暴力的、包摂的、効果的な仕事環境や商業環境をつくっていくことが望ましいでしょう。
開発途上国では優秀な人材が教育環境に恵まれないために多く埋もれている可能性があります。
企業としても、開発途上国の人材開発は将来の企業の成長に大きく貢献しうる重要な課題です。平均賃金の高い先進国においてそれほど優秀でもない怠惰な学生を採用するより、賃金の低い発展途上国で一生懸命勉強してきた勤勉で優秀な学生を採用した方が企業の発展に大きく貢献してくれるかもしれません。とりわけ発展途上国に進出するのであれば、現地の優秀な学生に奨学金を出すなどの制度を採用することは、その国の発展に寄与するだけでなく、優秀な人材を確保するために有効な手段です。
質の高い教員が大幅に不足していては、国民に満足な教育もできなくなってしまいます。教員の質を高めることは、優秀な人材を輩出する質の高い教育を実現していくためには大切です。
企業においても、主要活動地域や海外進出先の「教員の質」について関心を持つことが大切です。教員の質に問題があるのであれば、その改善を要望し、あるいは質向上のための支援活動をしていくことが望ましいでしょう。主要活動地域や海外進出先での教育の質向上が、優秀な人材を生み、彼らを確保することで企業の更なる発展に貢献してもらえることが期待できるのですから。
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