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発達障害とその対応

社会にうまく適応できない人々がドロップアウトしたり、社会に恨みを抱いて破壊的な行動に出る場合があります。もしかしたらそれは、発達障害が原因かもしれません。発達障害によって本人が周囲の人々とうまく意思疎通できず、お互いに苦しむことがあります。意思疎通がうまくいかない状態を放置しておくと、人間関係の亀裂や対立、場合によっては深刻な争いが起こることがあります。私たちは発達障害についてもっと理解し、適切な対応方法を知っておく必要があるのかもしれません。

発達障害とその対応

発達障害とは人の発達期にあらわれる自閉症、アスペルガー症候群、学習障害、注意欠陥多動性障害などの脳機能の障害をいいます。発達障害が問題になるのは、社会生活を営む上で本人や周囲が大きな障壁を感じ苦しむことになるときです。 発達障害という言葉は比較的最近の言葉です。でも、発達障害は昔からあったとされています。多くの人々が発達障害のまま大人になって、社会生活の中で苦しんでいるといわれています。
発達障害は幼少期よりその問題が発生し表面化してきます。幼少期の段階で発達障害の兆候を見逃さず、適切な対応を取っていればいいのですが、その本人の生まれ育った環境によっては発達障害を無理に抑え込み、あるいは逆効果になるような育てられ方をすることがあります。
幼少期から本人自身に問題がある人もあるでしょう。しかし同時に幼少期に本人自身に他の子どもたちと変わりはなかったとしても本人が育った生活環境に問題があり、それが後々まで大きな影響を与えることも大いにあります。親や周囲の人々が冷淡に子供をほったらかしにして、強く裏切られたと感じる経験をした子は、親や周囲の人々を信用せず心を開かなくなるかもしれません。長年甘やかされて育った子が急に厳しい環境に移ると、自己中心的になったり自閉症になったりしやすいかもしれません。幼少期に暴力を受けた子は、大きくなって何か問題に直面したときに暴力を使って仕返ししようとするかもしれません。
愛情に飢えた人は、幼少期の親などからの愛され方に問題があったかもしれません。他人に迷惑をかけたとき、ちゃんと「ごめんなさい」が言えない人がいます。「ごめんなさい」を言うタイミングがわからない人がいます。謝罪をすることは負けを認めることだから、負けを認めるのは嫌だから、何が何でも謝罪をしない人がいます。そんな考えのまま大人になると、何らかのトラブルが発生したとき解決できない人になってしまいます。
ものごとに過敏に反応する人、自己中心的どころでなく自分のことしか考えない人、ぼおっとして他人の言うことをちゃんと聞かずに適切に対応できない人など、社会生活において何らかの発達障害を抱えているとされている人は、多かれ少なかれ幼少期にその原因となるような経験をしていたことが考えられます。
程度は人によりまた場面により違いますが、人は多かれ少なかれ発達障害だといえるかもしれません。何かに神経質になることや自己中心的な考えに支配されること、集中力がわかないことや他人の言っていることを理解できないことは、どんな人にもおこりうることです。
もし誰かが発達障害だとはっきりわかったら、その人とはどのように接すれば良いでしょうか。ここでは発達障害の人に対する接し方のヒントを考えてみます。
まずは、その人に寄り添いましょう。その人に寄り添うことで、その人がどう考え、どう行動しているのかをよく観察しましょう。結論を急がず、その人のやっていることや発言に出来るだけ干渉せず、じっくりとよくその人を見ましょう。そして、どうしてその人はそのように行動するのだろう、この人は世の中の出来事をどう受け止めているのだろう、と考えてみましょう。
その人と信頼関係が出来るまでは、よっぽど大きな問題になるのでない限り、その人の発言や行動に肯定も否定もしない方がいいでしょう。
信頼関係をつくるまではひたすらその人の情報を集めることに集中しましょう。その人があなたを信頼していない段階から意見を言ったり、行動に干渉したりすると、その人はあなたのことを「敵」とみなして、すっかり心を閉ざしてしまうかもしれません。
ある程度の信頼関係が出来たと手ごたえを感じたら、少しずつ接し方を変えていきましょう。その人がトラブルを自ら解決していけるよう、発達障害を克服していけるようなヒントを与えていきましょう。
つよく愛情に飢えているのであれば、場合によっては育て直しが必要なのかもしれません。できる範囲内で甘やかしてあげましょう。でも、いつまでも小っちゃい子どもではないのですから、いつまでも甘やかすわけにはいかないことも、同時に伝えていきましょう。
ちょっとした人間関係のゲームをしてみましょう。相手との立場を変えて、逆に自分がその人に好き勝手なことを言って困らせてみましょう。そのとき、その人が以前言った言葉をそのまま使うことがポイントです。自分が他人に言って他人を困らせた言葉が、そのまま自分に返ってきて自分が困ることで、その言葉が他人を困らせる良くない言葉だと自覚させるのです。
もし機会があれば、じっくり時間をとって内観を促してみたり、広い視野でものごとを見る習慣を与えるような言葉がけをしてみましょう。信頼関係があれば、その人はあなたの言うことを聞くはずです。もしかしらた、自主的に自分を変えていく努力を始めてくれるかもしれません。

仁と徳の心

世の中に争い事が多く、なかなか世界が平和に向かわないのはなぜでしょうか。人々の心が自己中心的で妬みや憎悪、恨みなどの持ちやすいのは世の中の争いの大きな原因ではないでしょうか。争いの原因をつくらないためには、まずは自己中心的な人々の心が変わる必要があります。悪しき感情を捨て去り、人々をあわれむ仁の心とともに、人々を敬服させる人格の力である徳の心を備えることが、争いごとを無くしていくにはとても大切です。

人心の平安

人々が不安や、恐怖に悩まされているようではなかなか世界は平和になりません。世の中が平和に治まるためには、人々が不安や恐怖に悩まされることなく、安心して穏やかに日々を過ごすことができることが求められます。人心の平安は社会の安定のためにも大切です。多くの人々が安心して穏やかに日常生活を過ごせることは、大変重要であるとともに貴重なことなのです。人心の平安を実現するには、不安や恐怖を引き起こす原因をなくしていかなくてはなりません。

平和のための教育

平和を実現し、維持していくためには、平和のための教育をしていくことが大切です。自ら平和のための教育を受けるだけでなく、その教育を普及させていくことが世界平和の実現には重要になってきます。平和のための教育は、理解しやすくいだけでなく、より効果的で実践しやすいと同時に、賛同しやすく普及しやすいものであることが求められます。人々の反発を生んだり、賛同を得られず対立を生むような教育では、かえって平和から遠のいてしまいます。

発達障害とその対応

社会にうまく適応できない人々がドロップアウトしたり、社会に恨みを抱いて破壊的な行動に出る場合があります。もしかしたらそれは、発達障害が原因かもしれません。発達障害によって本人が周囲の人々とうまく意思疎通できず、お互いに苦しむことがあります。意思疎通がうまくいかない状態を放置しておくと、人間関係の亀裂や対立、場合によっては深刻な争いが起こることがあります。私たちは発達障害についてもっと理解し、適切な対応方法を知っておく必要があるのかもしれません。

イデオロギー闘争

イデオロギーとは政治的、経済的システムを基礎とした観念的な考え方の集合体をいいます。イデオロギーはいわば現実とは離れた理想であり、空想であり、それゆえ同時に強い信念として見られています。ある考えが正しいと強く信じる人にとって、その考えに同意しない人々は往々にして敵とみなされることが多いです。ゆえにイデオロギーは闘争を生み、戦争や社会不安の原因をつくるといわれています。問題はイデオロギーを信念として持つことが、他を排除しようとする攻撃的な心理に発展しやすいことです。

宗教に対する考え方

宗教とは何らかの神聖で絶対なものへの信仰や儀式などを軸とした教義などをいいます。宗教は時として人々の心に強い影響力を持ち、それゆえ場合によっては宗教を信仰する人々が社会的に異常な行動をとったり、宗教間の対立が激しくなって戦争が引き起こされたりすることがあります。宗教は世界平和への助けになることもあれば、世界平和に対する妨げになることもあります。できれば宗教には人々の対立をあおるのではなく、世界平和の助けになるよう、人々の心に働きかけてほしいものです。

祈りの心

祈りとは神仏に願うことをいいます。世界中のすべての人々が世界平和を願って神仏に祈れば、ひょっとしたら世界平和はすぐに実現できるかもしれません。排他的ですぐに他人を攻撃しようとしたがる人々がいなくなり、素直でまっすぐに神仏に向き合い、ひたすら祈りの心をささげる人々が増えていけば、紛争や対立は少なくなるかもしれません。祈りの心を持つことが世の中を変える力となるのであれば、ぜひとも多くの人々が祈りの心を持つべきでしょう。

差別とその本質

差別とはけじめのことであり、扱いや待遇に差をつけることをいいます。何かをした結果を、人は受け取ります。良いことをした人には良い報いがあり、悪いことをした人には悪い報いがあることでしょう。良いことをした人と、悪いことをした人が差別されるのは当然かもしれません。しかし、時として人は理不尽に扱われ、不当な差別を受けることがあります。そんなときは、人は差別そのものを恨んだり、差別した人を憎んだりしがちです。差別されたことによって、恨みや憎しみが人の心に発生するのです。

情報と扇動

情報とは何らかの事件があったときのその状況・実情・途中経過についての知らせをいいます。また扇動とは何か行動をするように他人をそそのかすことをいいます。情報は往々にして断片的であり、非連続的であり、未完結です。場合によっては意図的に偏った情報や、間違った情報が流されることがあります。意図的に偏った情報、あるいは間違った情報によって、暴動や騒乱、場合によっては戦争が起きることがあります。また、情報そのものは大きく間違っていなくても、それを使って扇動された人々が異常な行動を起こす場合があります。

人権

人権とは人間が生まれながらに持つ権利をいいます。生れ落ちたとき、全ての人に人権が与えられています。ただし多くの場合、人は生まれ育った環境の制約条件に左右されながら生きることになります。必ずしもすべての人間に等しく人権が守られるとは限らないのです。しかし、国家や社会によって人権が不当に制限されるとしたら、それは大きな問題です。人権は必要である限り守られるべきものです。人権に対する不当な制限はできるだけ無くしていかなくてはなりません。

陰謀と陰謀論

陰謀とは秘かに企てる悪だくみをいいます。世の中には、表向き良い人のふりをしながら、陰でよからぬはかりごとをたくらんでいる人たちがいます。陰謀は人々の知らないところで計画され、進められます。ただし、陰謀は表に出てしまえば陰謀ではなくなります。問題は、何か社会で問題がおきたときなど、誰かの陰謀だと騒ぎ立てる人たちがいることです。いわゆる陰謀論を騒ぎ立てて誰か特定の人たちを悪者だと決めつけようとする扇動行為が行われ、社会不安の原因になっています。

争いや不幸を招く原因をなくしていくこと

社会において対立や紛争が激しくなれば、多くの人々が不幸になります。争い事や人々の不幸が発生するのは、何か原因があるからです。人々を対立させ、争わせる原因、人々が不幸になる原因をなくしていけば、それだけ争い事や人々の不幸を減らしていくことができるはずです。短絡的に誰か他人に責任を押し付けたり、社会そのものを破壊し否定するのでは根本的な解決にはなりません。その本質的な原因を見つけ出し、その原因を解消していく方法を学んでいくことが求められます。

和の思想

和とはなごやかで仲が良いことです。争いや敵意、憎しみなどを持たないことが和の心です。皆がお互いに仲良くし、さまざまなものをほどよく混ぜ合わせることで争いや不幸を招く原因をなくしていくのが和の思想です。排他的でなく、偏らず、すべてを取り入れる懐の深さが和の思想にはあります。和の思想では一つの正解を人々が信じ込まされることはなく、様々な考えを受け入れつつ自主性が尊重されます。和の思想が中心にあることで、人々の心や社会が整い、やわらぎます。

煩悩をのり越える

煩悩というのはちょっとしたはかない想いであり、夢です。夢を持つことは決して悪いことではありません。多くの人々は夢を持ち、夢を実現したくて目標を掲げ、そしてその目標のために努力します。夢は世界を動かします。夢は良い方向に世界を動かすこともあれば、悪い方向に世界を動かすこともあるでしょう。ひとつの夢が実現したからといって人が幸せになるとは限りません。また夢が実現できなかったとき、他人への恨みや妬みの感情を持つ人も少なくありません。

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