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フィジー

フィジーの地域情報について調査しています。フィジー共和国はオセアニアの一部であるメラネシアの島国です。フィジーに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

フィジー

位置

ニュージーランドの北約2,000 kmほどにあります。

国土

約1.8万km2

首都(およその人口)

スバ(9.3万)

スバ以外のビジネス関連都市(およその人口)

ナシヌー(9.2万)

人口

およそ93万人

人種構成

56.8%先住フィジー人、 37.5%インド・フィジー人、 1.2%ロツマ人、 4.5%その他

言語

フィジー語、英語、フィジーヒンディー語

宗教

64.4%キリスト教、 27.9%ヒンドゥー教、 6.3%イスラム教、 0.3%シーク教、 その他
スリジヴァスブラマニヤ寺院

文化

非常に活気のあるフィジーの伝統文化とともに、インドや中国などの伝統の導入やヨーロッパの影響を受けて独特の発展を遂げています。
ブーマ国立遺産公園
タバルア島
デナラウ島
ベンガ島
サワイラウ洞窟
シガトカ・サンド・デューンズ国立公園
クラワイルドアドベンチャーパーク
フィジー・ミュージアム

教育

義務教育はありませんが、6歳から13歳までの子どもの85%以上が小学校に通っています。識字率は92%ほどです。
ザ・サウス・パシフィック大学
フィジー国立大学
フィジー大学


スバ・シティ図書館

フィジー近・現代史の概略

1874 英国の直轄植民地になる
1875-76 はしかの流行により、4万人以上(フィジーの当時の人口の3分の1)が死亡。生き残ったフィジー人が病気を意図的なものとして反乱。英国による鎮圧
1879-1916 砂糖農園で働くために60,000人以上の契約労働者がインド亜大陸から連れてこられる
1904 立法評議会設立
1970 英国より独立
1987 シチヴェニ・ラブカ中佐による無血クーデター。ラプカが2回目のクーデター。英連邦から離脱し、共和制へ移行。英国、米国、オーストラリア、ニュージーランドは援助を一時停止
1989 何千人ものインド人がフィジーから逃亡
1990 先住民フィジー人の政治的支配を正式に記す新憲法が導入
1997 差別のない憲法を導入した後、英連邦に再加盟
2000 国会占領事件(ジョージ・スペイト率いる武装グループが首相を人質に国会議事堂を2ヶ月占拠)。ガラセを首班とする暫定文民政府が発足。英連邦はフィジーの加盟資格を一時停止。人質解放。がラトゥ・ジョセファ・イロイロを大統領任命。ジョージ・スペイト逮捕
2001 ジョージ・スペイトが選挙で国会議員に選出。ジョージ・スペイトが議会から追放される。英連邦に再加盟
2002 ジョージ・スパイトは反逆罪で死刑判決。イロイロ大統領は彼の罰を終身刑に変更
2006 イロイロ大統領再選。クーデターで大統領権限はく奪。英連邦はクーデターのためフィジーの加盟資格を一時停止
2007 イロイロ大統領の権限回復
2009 イロイロ大統領が憲法を廃止し、すべての裁判官を解任し、バイニマラマ軍司令官を暫定首相に就任させる。戒厳令。イロイロ大統領辞任。英連邦はフィジーの加盟資格を完全に停止
2012 戒厳令解除。2014年までに選挙を行うことに合意。オーストラリアとニュージーランドはフィジーとの外交回復に合意
2013 新憲法導入
2014 シリアのゴラン高原で45人のフィジーの平和維持軍が人質にされる。総選挙でバイニマラマ首相が勝利。英連邦がフィジー加盟資格を復活。45人の平和維持要員が解放される。フィジーが世界で最も幸せな国として挙げられる
2015 フィジーの退役軍人は、1950年代後半にクリスマス島で実施された英国の核実験による放射線の曝露に対して金銭的補償を受ける
2016 サイクロンによる甚大な被害
2017 国連気候変動会議COP23のホスト国を務める(会議はボンで行われる)

政治

民主共和国です。大統領は国家元首であり、首相が政府の長です。議会は一院制です。
フィジー議会
ガバメントハウス
高等裁判所

一人当たりGDP

5,876ドル

経済

発展途上国ですが、太平洋諸島の経済の中で最も発展した経済の1つとされています。


オセアニア

オーストラリア、 ニュージーランド、 パプアニューギニア、 キリバス、 クック諸島、 サモア、 ソロモン諸島、 ツバル、 トンガ、 ナウル、 ニウエ、 バヌアツ、 パラオ、 フィジー、 マーシャル諸島、 ミクロネシア

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