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ナウル

ナウルの地域情報について調査しています。ナウル共和国は中央太平洋のオセアニアの国です。ナウルに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

ナウル

位置

ツバルの北西、ソロモン諸島の北東、ミクロネシア連邦の南東、マーシャル諸島の南、パプアニューギニアの東北東に位置しています。最も近い外国領土はキリバスのバナバ島(オーシャン島)で、ナウルからは東に300 kmです。

国土

約21km2

首都(およその人口)

ヤレン地区(事実上)(750)

ヤレン地区以外のビジネス関連都市(およその人口)(およその人口)

デニゴムドゥ地区(1800)

人口

およそ1.1万人

人種構成

58%ナウル人、 26%他の太平洋諸島系、 8%白人、 8%中国系

言語

ナウル語、英語

宗教

キリスト教が主流です。

文化

近代西洋の影響を強く受け、古代の伝統文化は失われつつあります。
アニバレ湾
中央高原
モクア・ウェル
ブアダ・ラグーン

教育

6歳から16歳までの子供には義務教育があります。識字率は96%ほどです。
サウス・パシフィック大学ナウルキャンパス
ナウル大学

ナウル近・現代史の概略

1888 マーシャル諸島保護領の一部としてドイツに併合される
1900 英国の会社が島でリン酸塩を発見
1906 ドイツは英国資本の会社に採掘権を与え、リン酸塩の採掘が始まる。利益はドイツと英国の会社で山分け
1914 オーストラリア軍が占領
1920 オーストラリア・ニュージーランド・英国の3国を施政国とする国際連盟の委任統治領
1942-45 日本軍が占領。約1,200人のナウル人が強制労働のためにミクロネシアに強制送還
1947 オーストラリアの管理下で信託統治領となる
1967 ナウル人がリン酸塩採掘の支配権を獲得
1968 ハマー・デロバート初代大統領のもと独立
1969 独立して英連邦に加入
1989 温室効果に関する国連の報告書により、ナウルが21世紀に海の下に消える可能性があると警告。信託統治期間にさかのぼってオーストラリアがナウルのリン酸塩で利益を得ていたのは不当であるとして国際司法裁判所に提訴
1993 オーストラリア、ニュージーランド、英国は和解金を支払うことに同意
1998 国営銀行破たん
1999 ナウルが国連に加盟
2001 タンパ号事件(あるいはパシフィック・ソリューション。オーストラリアが入国拒否した難民をナウルが一時的に受け入れることにより、ナウルがオーストラリアから経済援助を受けることになった)
2002 千人規模の難民(亡命希望者)を抱える。オーストラリアが難民受け入れについて約束を果たさないと批判。台湾と断交し中華人民共和国と国交樹立。中華人民共和国から援助を受ける
2003 マネーロンダリングの申し立てを受け、オフショア銀行を解散。亡命希望者の一部がハンガーストライキ。政府が音信不通になる
2004 債務支払いをデフォルト。オーストラリアはナウルの資産管財とともに、国家財政を担当する職員を派遣
2005 台湾との外交関係を回復。中華人民共和国はこれを非難。マネーロンダリングの非協力国リストから削除される。債務返済ができず、エアナウル唯一の飛行機が米国の銀行に差し押さえられる
2006 オーストラリアはビルマの難民をナウルに送還
2007 オーストラリアはスリランカの難民をナウルに送還
2008 オーストラリアはパシフィック・ソリューションの政策を転換し収容所を閉鎖。最後の難民がナウルを去る
2012 オーストラリアは再びオフショア移民政策のため、ナウルに亡命希望者のための移民収容所を再開。人権グループアムネスティがその収容所を非人道的であると批判
2013 オーストラリアが運営する移民収容所で暴動
2016 ナウルを訪問した国連高官が、オーストラリアが運営する移民収容所を非人道的と批判

政治

議会制民主主義の国家です。大統領は議員の互選で選ばれ、政府の長を務めます。議会は一院制です。
パーラメント・ハウス

一人当たりGDP

8,570ドル

経済

かつてリン鉱業によって1970年頃に大きく栄えましたが、リン酸塩の埋蔵量がなくなった後1990年後半ごろには破たん状態になりました。近年少しずつ回復しています。


オセアニア

オーストラリア、 ニュージーランド、 パプアニューギニア、 キリバス、 クック諸島、 サモア、 ソロモン諸島、 ツバル、 トンガ、 ナウル、 ニウエ、 バヌアツ、 パラオ、 フィジー、 マーシャル諸島、 ミクロネシア

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