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マーシャル諸島

マーシャル諸島の地域情報について調査しています。マーシャル諸島共和国は国際日付変更線の少し西にある太平洋の赤道近くの島国です。マーシャル諸島に進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

マーシャル諸島

位置

南東はキリバス、南はナウル、西はミクロネシア連邦と海上境界線を共有しています。

国土

約181km2

首都(およその人口)

マジュロ(2.8万)

人口

およそ5.8万人

人種構成

92.1%マーシャル人、 5.9%混血マーシャル人、 2%その他

言語

マーシャル語、 英語

宗教

キリスト教が主流です
聖母被昇天大聖堂

文化

広大なミクロネシア文化の一部としての古来からの伝統があり、またキリスト教宣教師到来以来の西洋的文化が広がっています。
アーノ・アトール
ビキニ環礁
マユロ橋
エネコ

教育

通常14歳までの最初の8年間は義務教育です。
ザ・マーシャル・アイランズ大学
サウスパシフィック大学マーシャル諸島キャンパス


アレレ博物館 & 図書館

マーシャル諸島近・現代史の概略

1864 ドイツのアドルフカペレが最初の商社を設立
1885 ドイツはスペインに補償金を支払ってマーシャル諸島を併合
1914 第一次世界大戦中、日本が島々を占領し軍事基地を建設
1920 国際連盟が日本に委任統治を認める
1944 第二次世界大戦中、米軍が日本軍を追い出し島々を占領
1946 ビキニ環礁にて米国の核実験計画始まる。島民がビキニ環礁から避難
1947 国連の太平洋信託統治領として米国の管理始まる
1948 米国が核実験を拡大。島民がエネウェタック環礁から避難
1954 ビキニ環礁で米国による過去最大の水爆実験。第五福竜丸事件
1965 米国がミクロネシア議会設立
1969 米国がビキニ環礁除染プロジェクトに着手
1970- ビキニ環礁に戻った島民に放射能による深刻な健康問題発生
1978 マーシャル諸島がミクロネシア連邦から脱退
1979 憲法制定。自治政府発足。アマタ・カブア大統領就任
1980 エネウェタック環礁の除染作業後、島民が帰還
1982 マーシャル諸島共和国に正式に改名
1985 米国は15年以内にビキニ環礁の除染を完了することに同意
1986 米国議会は、マーシャル諸島に独立を与える自由連合盟約(コンパクト)を批准
1989 国連の報告書が地球温暖化による海面上昇のために2030年までにマーシャル諸島が完全に水没すると警告
1991 国連加盟
1998 台湾を公式に承認し、国交を樹立
2004 米国からの援助を盛り込んだ改訂コンパクト発効
2008 津波による被害と非常事態宣言
2013 気候変動への取り組みを約束する「マジュロ宣言」
2014 津波による非常事態宣言

政治

議会制と大統領制を採用した共和国です。大統領は国家元首であり、政府の長でもあります。議会は一院制です。
ニティジェラ
RMI裁判所

一人当たりGDP

3,866ドル

経済

工芸品の生産、マグロの加工、観光などが主産業ですが、輸入は輸出をはるかに上回っています。


オセアニア

オーストラリア、 ニュージーランド、 パプアニューギニア、 キリバス、 クック諸島、 サモア、 ソロモン諸島、 ツバル、 トンガ、 ナウル、 ニウエ、 バヌアツ、 パラオ、 フィジー、 マーシャル諸島、 ミクロネシア

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