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コソボ

コソボの地域情報について調査しています。コソボ共和国は2008年にセルビアからの独立を一方的に宣言した南東ヨーロッパで部分的に承認された国であり、紛争地域です。コソボに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

コソボ

位置

バルカン半島の中心部の内陸にあり、北と東にはセルビア、南東には北マケドニア、南西にはアルバニア、西にはモンテネグロがあります。

国土

約1.1万km2

首都(およその人口)

プリシュティナ(20万)

プリシュティナ以外のビジネス関連都市(およその人口)

プリズレン(19万)

人口

およそ187万人

人種構成

アルバニア人、セルビア人、その他

言語

アルバニア語、セルビア語

宗教

イスラム教が96%
マザーテレサ大聖堂

文化

人口の大部分を占めるアルバニア人の文化が主流とされています。
民族学博物館「エミンギク」
ジャーミアパーク
NEWBORN
バトラバ湖
大理石の洞窟(ガディメ洞窟)

教育

初等中等教育はすべての人に義務付けられています。
プリシュティナ大学
ミトロビカ「イサボレティーニ」大学
プリズレン大学


コソボ国立図書館

コソボ近・現代史の概略

1912 バルカン戦争。セルビアはトルコからコソボの支配権を取り戻す
1918 コソボはセルビア王国の一部になる
1941 コソボの大部分がイタリアが支配する大アルバニアの一部になる
1974 ユーゴスラビア憲法によりコソボの自治権が認められる
1981 分離主義者の暴動と軍による鎮圧
1990 ユーゴスラビアがコソボ政府を解散させ、自治権はく奪へ動く。大量解雇と大規模なゼネスト
1991 スロベニア、マケドニア、クロアチア、ボスニアがユーゴスラビアから脱却
1992 イブラヒム・ルゴワが自称共和国の大統領に選出
1998 コソボ解放軍がセルビアに反逆。セルビア軍による弾圧(コソボ紛争)。数十万人のコソボアルバニア人が難民となる。NATOがミロシェビッチ大統領に最後通告
1999 和平交渉失敗。NATOがセルビアを空爆。コソボからセルビア軍撤退。コソボが国連の保護下になる
2002 イブラヒム・ルゴバがコソボ議会によって大統領に選出
2003 セルビア人とアルバニア人の衝突で19名死亡
2006 ウィーンでのセルビア人とコソボの指導者との直接会談
2008 コソボが独立を宣言。米国といくつかの欧州諸国が承認。セルビアは認めず
2013 コソボとセルビアがEU加盟を求める互いの努力を妨げないことと、コソボ北部のセルビア人多数地域に自治権を与えることに合意
2020 セルビアとの経済関係正常化で合意

政治

複数政党制の議会代表民主共和国の枠組みの中で政治が行われています。大統領が国家元首、首相が政府の長です。議会は一院制です。
コソボ最高裁判所

一人当たりGDP

4,649ドル

経済

旧ユーゴスラビアで最も貧しい地域とされています。


ヨーロッパ

ウクライナ、 フィンランド、 スウェーデン、 英国、 デンマーク、 アイルランド、 オランダ、 スイス、 ノルウェー、 ドイツ、 オーストリア、 フランス、 ベルギー、 イタリア、 スペイン、 スロベニア、 ポルトガル、 チェコ、 ハンガリー、 エストニア、 ポーランド、 スロバキア、 ラトビア、 ギリシャ、 ルーマニア、 クロアチア、 リトアニア、 ブルガリア、 ロシア、 アイスランド、 ベラルーシ、 モルドバ、 北マケドニア、 アルバニア、 ルクセンブルク、 ボスニア・ヘルツェゴビナ、 キプロス、 セルビア、 モンテネグロ、 アンドラ、 コソボ、 サンマリノ、 バチカン、 マルタ、 リヒテンシュタイン、 モナコ

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