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モルドバ

モルドバの地域情報について調査しています。モルドバは東ヨーロッパの東に位置する内陸国です。モルドバに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

モルドバ

位置

北と東はウクライナ、西と南はルーマニアに隣接しています。

国土

約3.4万km2

首都(およその人口)

キシナウ(64万)

キシナウ以外のビジネス関連都市(およその人口)

ティラスポリ(13万)バルツィ(10万)など

人口

およそ264万人

人種構成

75%モルドバ人、7%ルーマニア人、7%ウクライナ人、その他

言語

ルーマニア語(モルドバ語)

宗教

キリスト教正教会が主流です。
ナスレテア大聖堂
ティポバ修道院
クルキ修道院
サハルナ修道院

文化

ラテン文化とスラブ文化の交差点に位置するモルドバは、ルーマニア文化に近く、またトルコや、ロシアの影響を受けています。
オルヘイウ・ベキ
ベチュリレ・クリコヴァ

教育

ソビエト崩壊後、国民が基礎教育を10年以上受ける改革が確立されました。
モルドバ経済研究アカデミー
「ニコラエテステミタヌ」州立医科薬科大学
モルドバ国立大学
モルドバ工科大学
アレクルッソ大学
モルドバ自由国際大学


国立図書館

モルドバ近・現代史の概略

1917 ロシア革命、ソビエトへの併合を決議
1918 ベッサラビアが独立を宣言し、ルーマニアとの統合を要請(ルーマニアによる占領)
1920 パリ条約によりルーマニアとベッサラビアの統合を承認(ボルシェビキは承認せず)
1924 モルドバ自治ソビエト社会主義共和国がウクライナ内のドニエストル川の東に設立
1940 ソ連がベッサラビアを併合。モルドバ自治ソビエト社会主義共和国の大部分と統合して、モルダビアソビエト社会主義共和国を創設。
1941-45 ドイツ軍がソ連に侵攻している間、第二次世界大戦終戦までルーマニアが支配を回復する。
1980年代後半 モルドバ民族運動復活
1990 モルドバが主権を宣言
1991 ソビエト連邦崩壊。モルドバ共和国が独立を宣言。 ソビエト連邦の後継者である独立国家共同体に加わる。
2002 ロシア語を公用語とし、学校で義務化する計画の発表、大規模な抗議行動と計画の棚上げ。
2006 ロシアによるガス供給停止と妥協交渉。

政治

議会制議代表民主共和国であり、一院制のモルドバ議会が国の立法機関、大統領が国家元首です。
モルドバ共和国議会
共和国宮殿

一人当たりGDP

4,498ドル

経済

ソ連崩壊後、経済は衰退しましたが、1999年以降、GDPは着実に成長しています。


ヨーロッパ

ウクライナ、 フィンランド、 スウェーデン、 英国、 デンマーク、 アイルランド、 オランダ、 スイス、 ノルウェー、 ドイツ、 オーストリア、 フランス、 ベルギー、 イタリア、 スペイン、 スロベニア、 ポルトガル、 チェコ、 ハンガリー、 エストニア、 ポーランド、 スロバキア、 ラトビア、 ギリシャ、 ルーマニア、 クロアチア、 リトアニア、 ブルガリア、 ロシア、 アイスランド、 ベラルーシ、 モルドバ、 北マケドニア、 アルバニア、 ルクセンブルク、 ボスニア・ヘルツェゴビナ、 キプロス、 セルビア、 モンテネグロ、 アンドラ、 コソボ、 サンマリノ、 バチカン、 マルタ、 リヒテンシュタイン、 モナコ

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