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正しい歴史など無い

歴史とは、社会などが変化、発展してきた経緯を記録したものをいいます。歴史は人によって記録されたものであり、記録した人の考え方や立場がどうしても入りやすくなります。また場合によっては大切な情報が失われたり、間違った情報が入れられたりして、過去に起きた事実とは異なることが歴史として記録されていることがあります。世の中にはそもそも、正しい歴史など無いと思った方が良いかもしれません。

正しい歴史など無い

例えば、自分の過去に起きたことを「自分の歴史」として書いてみたらどうでしょうか? 「自分で自分の歴史を書くのだから、正確に書けるだろう」、と思うかもしれませんが、意外とそうでもありません。
過去に起きたことをそのまま書こうと思っても、どうしても現在の考え方や立場が影響して、いろいろ脚色したくなってきます。場合によっては過去の大切なイベントをすっかり忘れていたり、記憶違いをしていることもあります。
人間は、思い出したくないような、トラウマになるような強いストレスを受けた過去の出来事は、たとえ自分にとって重要な情報でも思い出せなくなったりすることがあります。場合によっては、過去の事実と異なることを自分自身の記憶に刷り込んでしまうこともあるそうです。
歴史を記録する自分自身の立場によっても、記録のしかたは変わってきます。自分が今、成功して幸せだと思うのなら、過去の苦労も良い思い出として記録できるかもしれません。学生のころは嫌だった自分の親の行動や発言も、親の立場になったら共感できるようになるかもしれません。自分が今、苦労しているなら、昔の自分を思い出せば悔やむことが多くて記録したくなくなるかもしれません。
たった一人の人間の過去を記録する「自分の歴史」ですら、自分で正しく記録することは困難なのです。そこにはどうしてもそのときの立場、主観や思い込み、記憶違いなどが入ってくるのです。
そもそも人間に、正しい歴史を記録することなどできないと考えていいでしょう。誰かが「これが正しい歴史だ」、「これこそが真実だ」と言っていたとしても、それは「その人が気に入っている歴史」であって、往々にして正しい歴史でも真実でもないのです。どのような歴史も、何らかの立場、主観、あるいは情報の取捨選択が入っているものであり、偏りがあります。歴史の真実に迫りたいのであれば、偏った情報を信じ込まず、常に注意深く隠された情報に敏感になることが大切です。


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