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チャド

チャドの地域情報について調査しています。チャド共和国はアフリカの北中央部にある内陸国です。チャドに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

チャド

位置

北はリビア、東はスーダン、南は中央アフリカ共和国、南西はカメルーンとナイジェリア(チャド湖)、西はニジェールに隣接しています。

国土

約128万km2

首都(およその人口)

ンジャメナ(95万)

人口

およそ1,367万人

人種構成

26.6%サラ人、12.9%アラブ人、8.5%カネブ人、7.2%マサリット人、6.9%トウボウ人、4.8%マサ人など

言語

フランス語、アラビア語

宗教

イスラム57%、キリスト教39%、その他

文化

非常に多様で豊かな文化が育まれています。
チャド国立博物館
チャド湖
ティベスティ山地
ザクマ国立公園

教育

義務教育制度はありますが、5歳から14歳の子供の就学率は低く、識字率の向上が課題です。
ンジャメナ大学
国立行政学院
エミクーシ大学


国立図書館

チャド近・現代史の概略

1900 フランスによる占領。フランス領赤道アフリカの一部であるチャド州となる
1946 フランスの海外領土になる
1960 フランスから独立
1963 政党の禁止。北部のイスラム教徒が暴力的な反対運動を開始
1966 北部の暴動が本格的なゲリラ戦争に発展
1973 フランス軍が政府を支援、北部の反政府軍はリビアから武器の供給を受け、ゲリラ戦争を継続。リビアがアオゾウ地帯に侵攻
1975 クーデター
1977 リビアがアオゾウ地帯を併合
1978 統一政府樹立
1979 統一政府崩壊
1980 リビアが内戦に介入して部隊を派遣
1981 リビア軍撤退
1983 北部にてリビア軍が介入し、反政府軍を支援し北部の砂漠地帯を制圧
1987 トヨタ戦争。北部チャドを奪回。チャド・リビア停戦協定
2002 反政府勢力と和平協定。和平協定後に武力衝突
2003 カメルーンに通じるパイプラインを開設。石油輸出国となる。反政府軍と政府は別の和平協定に署名。ダルフール紛争始まる
2004 スーダンにて内戦激化。スーダン難民がチャドに到着。
2006 スーダン国境近くの東部地域で緊急時代発生
2007 東部国境沿いと砂漠北部で緊急事態政権
2008 セネガルでチャドとスーダンの両大統領が敵対行為停止に合意。しかしチャドとスーダンの民兵間の衝突が激化。チャドとスーダン断交。チャドが国境を封鎖
2010 チャドとスーダンで和解が成立。封鎖されていた国境を再開。スーダン大統領がチャドを訪問
2013 クーデターのあった中央アフリカ共和国を安定させるために軍を派遣
2014 中央アフリカ共和国からの軍の撤退と国境封鎖を発表
2015 ボコハラムがチャド湖のチャド沿岸を攻撃
2017 ナイジェリアとの国境近くでボコハラムが兵士を殺害
2018 公務員の給与削減。公共部門のストライキ。大統領の権限を拡大する新しい憲法を承認

政治

大統領制の立憲共和国です。大統領が国家元首であり、強大な権力を有します。議会は一院制です。
大統領官邸

一人当たりGDP

890ドル

経済

内戦や政治腐敗に苦しむ発展途上国と位置付けられており、人口の80%が貧困線以下の生活を送っています。原油の輸出が経済の主力になっています。


アフリカ

南アフリカ、 エジプト、 ナイジェリア、 コンゴ民主共和国、 エチオピア、 ケニア、 タンザニア、 ウガンダ、 モザンビーク、 マダガスカル、 ザンビア、 マラウイ、 ジンバブエ、 ボツワナ、 ナミビア、 アンゴラ、 コートジボワール、 モロッコ、 カメルーン、 ガーナ、 ブルキナファソ、 コンゴ共和国、 ガボン、 中央アフリカ共和国、 チャド、 ニジェール、 マリ、 モーリタニア、 アルジェリア、 チュニジア、 リビア、 スーダン、 南スーダン、 ギニア、 セネガル、 エリトリア、 ジブチ、 ソマリア、 ルワンダ、 ブルンジ、 セーシェル、 コモロ、 モーリシャス、 エスワティニ、 レソト、 赤道ギニア、 サントメ・プリンシペ、 ベナン、 トーゴ、 リベリア、 シエラレオネ、 ギニアビサウ、 ガンビア、 カーボベルデ

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