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トーゴの地域情報について調査しています。トーゴ共和国は西アフリカの国です。トーゴに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。
西はガーナ、東はベナン、北はブルキナファソと国境を接しています。南はギニア湾に面しています。
約5.7万km2
およそ861万人
エウェ族、カビエ族、テム族、シャンバ族その他
フランス語、ヨルバ語
44%のキリスト教、 36%伝統信仰、 14.0%イスラム教、 その他
・パリメの大聖堂
・トゴヴィルのノートルダム
さまざまな民族グループのアニミズムの慣習と信念が守られています。
・クタマク
・トーゴ国立博物館
・アグボドラフォ
・ファザオマルファカッサ国立公園
・ケラン国立公園
・フォセオライオンズ国立公園
・ソコデ市営スタジアム
・ロメの宮殿
6年間義務教育です。教師不足、農村部での教育の質の低下、および高い留年率と中退率に苦しんでいます。
・ロメ大学
・UCAO-UUT(西アフリカカトリック大学-トーゴの大学ユニット)
・カラ大学
1884 ベルリン会議によりドイツ領トーゴラントの保護領設立。プランテーション開発
1914 英国、フランス軍がトーゴランドを占領
1919 フランス委任統治
1922 国際連盟委任統治領として、東部3分の2を占めるフランス領トーゴランドと西部3分の1を占める英国領トーゴランドに分割
1946 国際連合の信託統治
1956 英国統治下の西部領土がゴールドコーストに含まれ、後にガーナと改名される
1960 独立
1961 初代大統領にオリンピオ氏就任
1963 オリンピオ大統領殺害,グルニッキー大統領就任
1967 ニャシンベエヤデマが無血クーデターで権力を掌握。政党解散。一党制に
1974 リン酸塩産業が国有化
1979 民政移管に伴う大統領選でエヤデマ大統領が再選(ただし立候補者はエヤデマのみ)。憲法で一党支配を定着
1985 ロメでの爆撃とクーデター未遂。政府を支援するためフランス軍介入。トーゴはガーナとブルキナファソが関与していると非難。ガーナとトーゴ間の国境封鎖
1986 エヤデマ大統領が再選
1991 ストライキ、デモ。コフィゴー首相の暫定政府が実権を握る。暫定政府の内紛。軍が首相官邸を襲撃。エデヤマ大統領は暫定政府との権力分割に同意。連立政権。実験がエデヤマ大統領に戻る
1992 新憲法承認
1993 エデヤマ大統領が政府を解散。抗議行動と警察との激しい衝突。フランス、ドイツ、米国が民主的改革を求め援助を一時停止
1998 エデヤマ大統領再選
2002 憲法変更し、大統領の三選禁止を削除
2003 エデヤマ大統領再選。西アフリカの平和維持軍として150人の兵士をリベリアに派遣
2005 エデヤマ大統領死去。エヤデマ大統領の息子フォール・ニャシンベが大統領になったと発表されたが、国内外の非難を受けいったん辞任。選挙によりニャシンベ氏が大統領就任。野党が不正だと非難。投票後に暴動があり推定で500人ほどが殺される。大統領は野党のエデムコジョを首相に任命
2006 政府と野党間の和解交渉が再開。暫定政府への野党の参加を規定する協定に署名
2007 議会選挙で与党が勝利。欧州連合は選挙が公正であったとみなし、14年間停止していた経済協力を再開
2009 クーデター未遂。死刑を廃止
2010 ニャシンベ大統領再選
2010 ニャシンベ大統領3選
2019 憲法改正により大統領の再選制限をさらに緩和
2020 ニャシンベ大統領4選
大統領制の共和国です。大統領は国家元首と政府の長の両方を務めています。議会は一院制です。
・トーゴの新大統領官邸
・トーゴ共和国国民議会
・トーゴ最高裁判所
682ドル
世界で10番目に貧しい国としてランク付けされており、経済的には苦しんでいます。コーヒー、ココア、ピーナツ、綿花やリン酸塩が主要な輸出品目です。
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