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セーシェル

セーシェルの地域情報について調査しています。セーシェル共和国はインド洋に浮かぶ群島国です。セーシェルに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

セーシェル

位置

ソマリア海の東端にあり、115の島で構成されています。

国土

約459km2

首都(およその人口)

ヴィクトリア(2.6万)

人口

およそ9.7万人

人種構成

93.2%セイシェルクレオール人、3.0%英国系、1.8%フランス系、0.5%中国系、0.3%インド系、1.2%その他

言語

英語、フランス語、セイシェルクレオール語

宗教

キリスト教が89%

文化

アフリカ、アジア、ヨーロッパの影響により豊かな文化が育まれています。
アンス・ラジオ
アンス・インテンダンス
バイー・ラザル・パブリック・ビーチ
ラ・ディーグ島
モルヌ・セシェロワ国立公園
マラン・ド・サン・タンヌ国立公園
ボウ・バロン・ビーチ
コート・ダー・ビーチ
ヴァレ・ド・メ自然保護区
アルダブラ環礁

教育

16歳まで義務教育があり、18歳まで無料です。
セーシェル大学


セーシェル・ナショナル図書館

セーシェル近・現代史の概略

1794 英国がセーシェルを併合。モーリシャスの植民地に含める
1903 モーリシャスとは別の単独植民地となる
1948 立法評議会への最初の選挙
1964 セーシェル人民統一党とセーシェル民主党が結党
1966 セーシェル民主党が選挙で勝利
1976 独立。民主党と人民統一党の連立政権。民主党のジェイムス・マンチャムが初代大統領、人民統一党のフランス・ルネが初代首相
1977 ルネ支持者によるクーデター。ルネが大統領就任
1978 人民統一党がセーシェル人民進歩戦線に改名
1979 新憲法制定。セーシェル人民進歩戦線のみの一党制に変更
1981 マンチャム支持者のクーデター未遂
1982 軍の反乱未遂
1991 複数政党制復活。亡命していたマンチャム帰国
1993 民主的な新憲法。選挙で人民進歩戦線およびルネ大統領勝利
2003 南部アフリカ開発共同体(SADC)から撤退
2004 ルネ大統領が辞任。副大統領だったジェームズ・ミッシェルが大統領就任。インドネシア沖の地震によって発生した津波による広大な被害
2006 大統領選挙でミッシェル大統領が勝利。政治団体(政党)または宗教団体によるラジオ局の運営を禁止
2008 リーマンショックに端を発する世界規模の金融危機と観光客急減で経済が打撃を受ける
2009 ソマリア海賊によるセーシェル海域での活動活発化。米軍が対海賊のためにドローン偵察機を供給。EU軍を島に配備することを許可する海賊対策協定に署名。
2013 追放されたチュニジア大統領の義理の息子の亡命を受け入れ、チュニジアとの外交関係悪化

政治

大統領制の民主共和国です。大統領は国家元首であり、政府の長です。議会は一院制です。
セーシェル州議会議事堂・大統領府
セーシェル国民議会
セーシェル正義の宮殿

一人当たりGDP

16,332ドル

経済

漁業、観光、農業が主流の経済です。


アフリカ

南アフリカ、 エジプト、 ナイジェリア、 コンゴ民主共和国、 エチオピア、 ケニア、 タンザニア、 ウガンダ、 モザンビーク、 マダガスカル、 ザンビア、 マラウイ、 ジンバブエ、 ボツワナ、 ナミビア、 アンゴラ、 コートジボワール、 モロッコ、 カメルーン、 ガーナ、 ブルキナファソ、 コンゴ共和国、 ガボン、 中央アフリカ共和国、 チャド、 ニジェール、 マリ、 モーリタニア、 アルジェリア、 チュニジア、 リビア、 スーダン、 南スーダン、 ギニア、 セネガル、 エリトリア、 ジブチ、 ソマリア、 ルワンダ、 ブルンジ、 セーシェル、 コモロ、 モーリシャス、 エスワティニ、 レソト、 赤道ギニア、 サントメ・プリンシペ、 ベナン、 トーゴ、 リベリア、 シエラレオネ、 ギニアビサウ、 ガンビア、 カーボベルデ

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