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ギニアビサウ

ギニアビサウの地域情報について調査しています。ギニアビサウ共和国は西アフリカの国です。ギニアビサウに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

ギニアビサウ

位置

北はセネガル、南東はギニアと国境を接しています。西は大西洋に面しています。

国土

約3.6万km2

首都(およその人口)

ビサウ(49万)

人口

およそ187万人

人種構成

フラニ人、バランテ人、マンディンカ人、パペル人、マンジャカ人、その他

言語

ポルトガル語

宗教

キリスト教6割ほど、イスラム教4割ほど
ギニアビサウのカトリック教会(ビサウ大聖堂)
ビサウモスク

文化

さまざまな民族の独自文化やクレオールなど多彩で豊かな文化です。
サンホセダアムラの要塞(フォートサンホセダアムラ)

教育

7歳から13歳まで義務教育があります。
アミルカル・カブラル大学
カトーリカ・ダ・ギニア・ビサウ大学
ギニアビサウジャンピアジェ大学


ギニアビサウ国立図書館

ギニアビサウ近・現代史の概略

1879 ギニアは単独のポルトガル植民地となる(それまではカーボベルデ植民地の一部)
1951 ポルトガルの海外州となる
1956 アミルカルカブラルがギニアとカーボベルデの独立のためのアフリカ党(PAIGC)を設立
1963-74 PAIGCによる独立戦争
1973 アミルカルカブラルが暗殺される。 PAIGCは一方的にポルトガルからの独立を宣言
1974 ポルトガル本土でカーネーション革命発生。ポルトガルの新政府が独立を承認。カーボベルデ系のルイス・カブラルが初代大統領就任。
1980 ジョアン・ベルナルド・ビエイラ率いる軍事クーデターでルイス・カブラル追放。カーボベルデとの統合計画は取り下げられる
1990 PAIGCが唯一の合法的な政党としての地位を取り消される
1994 最初の自由選挙でビエイラが大統領に当選
1998 反政府勢力への武器密輸に関わったとしてアンスマネ・マネ将軍を解任した後、一部軍人によるクーデター未遂
1999 アンスマネ・マネ将軍の反政府勢力軍との間でギニアビサウ内戦が勃発。ビエイラ大統領がポルトガルに亡命。サーニャ国民議会議長が暫定大統領に
2000 大統領選挙でクンバ・ヤラ大統領選出。実権はアンスマネ・マネが握る。クーデター未遂
2001 アントニエタローザゴメス外相が解任された。アンスマネ・マネが暗殺される。クーデター未遂
2003 軍事クーデターでヤラ大統領追放。暫定政権発足
2004 元与党PAIGCが総選挙に勝利。軍による反乱
2005 ビエイラ元大統領がポルトガルへの亡命から帰国。大統領選挙でビエイラ勝利
2006 ギニアビサウの兵士が南部国境付近でセネガルの反政府勢力と戦う
2008 ビエイラ大統領が議会を解散。クーデター未遂
2009 ビエイラ大統領が反乱軍の兵士に暗殺される。マラムバカイサンハが大統領選に勝利
2012 マラムバカイサンハ大統領がパリの病院で死亡。国会長のライムンド・ペレイラが暫定大統領に就任。クーデター未遂。マヌエル・セリフォ・ナマジョ率いる暫定政府が結成
2014 ホセマリオヴァズが大統領選に勝利
2020 野党のウマロ・シソコ・エンバロが大統領選に勝利。軍事政権を終了

政治

共和制の立憲国家です。大統領は国家元首であり、首相は政府の長です。議会は一院制です。
大統領官邸
ギニアビサウ国民議会

一人当たりGDP

851ドル

経済

一人当たりGDPが世界で最も低い国の一つであり、人口の3分の2以上が貧困線以下で生活しています。


アフリカ

南アフリカ、 エジプト、 ナイジェリア、 コンゴ民主共和国、 エチオピア、 ケニア、 タンザニア、 ウガンダ、 モザンビーク、 マダガスカル、 ザンビア、 マラウイ、 ジンバブエ、 ボツワナ、 ナミビア、 アンゴラ、 コートジボワール、 モロッコ、 カメルーン、 ガーナ、 ブルキナファソ、 コンゴ共和国、 ガボン、 中央アフリカ共和国、 チャド、 ニジェール、 マリ、 モーリタニア、 アルジェリア、 チュニジア、 リビア、 スーダン、 南スーダン、 ギニア、 セネガル、 エリトリア、 ジブチ、 ソマリア、 ルワンダ、 ブルンジ、 セーシェル、 コモロ、 モーリシャス、 エスワティニ、 レソト、 赤道ギニア、 サントメ・プリンシペ、 ベナン、 トーゴ、 リベリア、 シエラレオネ、 ギニアビサウ、 ガンビア、 カーボベルデ

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