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モザンビーク

モザンビークの地域情報について調査しています。モザンビーク共和国はアフリカ南部東側に位置する国です。ベラルーシに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

モザンビーク

位置

北はタンザニア、北西はマラウイとザンビア、西はジンバブエ、南西はエスワティーニ(スワジランド)と南アフリカに隣接しています。また東はインド洋に面しています。

国土

約80.2万km2

首都(およその人口)

マプト(108万)

マプト以外のビジネス関連都市(およその人口)

マトラ(103万)ナンプラ(66万)ベイラ(59万)など

人口

およそ2,950万人

人種構成

マクア人、ロムウェ人、その他

言語

ポルトガル語が公用語

宗教

約6割がキリスト教、約2割がイスラム教、その他

文化

バントゥ、スワヒリ、ポルトガルの統治の歴史に由来する豊かな文化があります。
バザルト諸島
カーザ・ド・フェーロ(アイアンハウス)
プライア・ド・ウィンブ(ウィンブ ビーチ)
クイリンバス国立公園
ゴロンゴサ国立公園
モザンビーク島
インハカ島

教育

国の公教育制度があり、初等教育は法律で義務付けられていますが、子どもたちの多くが学校に通っておらず、識字率の向上が課題になっています。
エドゥアルド・モンドラーネ大学
モザンビークのカトリック大学
モザンビーク教育大学
ルリオ大学
ザンベジ大学


モザンビーク国立図書館

モザンビーク近・現代史の概略

1842 ポルトガルによる奴隷貿易の非合法化
1858 ポルトガル領では公式に奴隷制度廃止
1962 モザンビーク解放戦線結成
1964- 独立戦争(ゲリラ戦)が始まる
1974 カーネーション革命(ポルトガル国内の軍事クーデター)。ポルトガル新政府がモザンビーク独立に合意
1975 モザンビーク独立
1977 マルクス・レーニン主義採用
1989 ソ連崩壊後、マルクス・レーニン主義を放棄
1990 複数政党制を認めるよう憲法改正
1992 モザンビーク包括和平協定署名
1995 イギリス連邦に正式に加盟

政治

複数政党制民主主義国家です。行政機関は、大統領、首相、閣僚理事会で構成されています。大統領は国家元首で、首相は行政府の長です。議会は一院制です。
パラシオダポンタヴェルメーリャ
共和国議会

一人当たりGDP

493ドル

経済

成長率は高いですが、世界で最も貧しく、最も開発が遅れている国の1つであり、重債務貧困国とみなされています。


アフリカ

南アフリカ、 エジプト、 ナイジェリア、 コンゴ民主共和国、 エチオピア、 ケニア、 タンザニア、 ウガンダ、 モザンビーク、 マダガスカル、 ザンビア、 マラウイ、 ジンバブエ、 ボツワナ、 ナミビア、 アンゴラ、 コートジボワール、 モロッコ、 カメルーン、 ガーナ、 ブルキナファソ、 コンゴ共和国、 ガボン、 中央アフリカ共和国、 チャド、 ニジェール、 マリ、 モーリタニア、 アルジェリア、 チュニジア、 リビア、 スーダン、 南スーダン、 ギニア、 セネガル、 エリトリア、 ジブチ、 ソマリア、 ルワンダ、 ブルンジ、 セーシェル、 コモロ、 モーリシャス、 エスワティニ、 レソト、 赤道ギニア、 サントメ・プリンシペ、 ベナン、 トーゴ、 リベリア、 シエラレオネ、 ギニアビサウ、 ガンビア、 カーボベルデ

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