世界地域情報>リビア情報
リビアの地域情報について調査しています。リビア国は北アフリカのマグレブ地域にある国です。リビアに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。
東はエジプト、南東はスーダン、南はチャド、南西はニジェール、西はアルジェリア、そして北西にチュニジアと国境を接しています。北は地中海に面しています。
約176万km2
およそ687万人
アラブ-ベルベル97%
アラビア語
イスラム教
ベルベル人やオスマン帝国の影響なども見られますが、20世紀半ばに広まった汎アラブ主義が強化されたアラブ文化の国です。
・マルクス・アウレリウス門
・ジャマヒリーヤ博物館(レッド・キャッスル博物館)
・レプティス・マグナ
・プトレマイス
・グダーミス旧市街
・サブラタ古代劇場
リビアの基礎教育はすべての市民に無料で、中等教育レベルまで義務教育です。
・トリポリ大学
・サバ大学
・リビアアカデミー
・リビア国際医科大学
・ベンガジ大学
・ミスラータ大学
1911-12 イタリアがオスマン帝国が支配していたリビアを占領
1920 イタリアへの抵抗が拡大
1931 イタリア軍による鎮圧。反乱勢力の長を処刑
1934 イタリアは植民地としてリビアの州を統合。イタリア人の入植を強化
1942 連合軍がリビアからイタリア人を追放。フランスと英国でリビアを管理統治
1951 イドリース・アルサヌシ王の下でリビア連合王国として独立
1961 パイプライン開設により石油輸出が可能になる
1969 カダフィ大佐による軍事クーデター。イドリース王退位。石油産業を含めたほとんどの経済活動を国有化。社会主義と汎アラブ主義を追求。国名を「リビア・アラブ共和国」に改称
1970 イギリス空軍基地と米国空軍基地の閉鎖を命じる。イタリア人入植者に属する財産を国有化
1971 国民投票によりリビア、エジプト、シリアで構成されるアラブ共和国連邦(FAR)の提案が承認されるが、実現せず
1977 「人民革命」を宣言し「革命委員会」を設立。国名を「社会主義リビア・アラブ・ジャマーヒリーヤ国」に改称。アオゾウ地帯を併合
1980 リビア軍がチャド北部の内戦に介入
1984 英国がリビアとの外交を断絶
1986 米国がリビアの軍事施設等を爆撃
1988 パンアメリカン航空103便爆破事件あるいはロッカビー爆撃事件(リビアのエージェントによる爆破とされる)
1989 リビア、アルジェリア、モロッコ、モーリタニア、チュニジアがアラブ・マグレブ連合を結成
1992 ロッカビー爆撃事件に関連し、国連がリビアに制裁
1994 アオゾウ地帯をチャドに返還
1995 パレスチナ解放機構とイスラエル間のオスロ合意に抗議して、約3万人のパレスチナ人を追放
1999 ロッカビー爆撃事件の容疑者が引き渡される。国連が制裁を一時停止。英国との外交関係が回復
2001 リビア軍が中央アフリカ共和国のクーデター鎮圧のため派兵。米国との関係回復協議
2004 英国のブレア首相が訪問
2006 米国との外交関係回復
2008 米国務長官訪問
2009 カダフィがイタリア訪問
2010 ロシアがリビアへの武器輸出に合意
2011 治安部隊と反カダフィ勢力との衝突激化。リビア内線始まる。NATO空爆。カダフィ殺害
2012 元反政府勢力の間で衝突が勃発。ベンガジにあるアメリカ領事館へのイスラム過激派襲撃で米国大使と他の3人のアメリカ人死亡
2013 石油輸出ターミナル閉鎖
2014 治安状況悪化による国連職員撤退
2016 国連職員がトリポリに戻る
進行中の内戦のために不確実な状態にあります 。
7,803ドル
主に石油に依存する経済で、埋蔵量の多さと人口の少なさからアフリカではGDPの高い国です。しかしながら国内経済は多くの構造的問題を抱えています。
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