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カンボジア

カンボジアの地域情報について調査しています。カンボジア王国は東南アジアのインドシナ半島の南部に位置する国です。カンボジアに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

カンボジア

位置

北西はタイ、北東はラオス、東はベトナムと国境を接しています。南西はタイ湾に面しています。

国土

約18万km2

首都(およその人口)

プノンペン(213万)

プノンペン以外のビジネス関連都市(およその人口)

タクマウ(20万)シソポン(18万)バタンバン(18万)シェムリアップ(17万)など

人口

およそ1,529万人

人種構成

およそ98%がクメール人

言語

クメール語

宗教

およそ98%が仏教(国教)、1%がイスラム教、その他
アンコール・ワット
ダムレイソルパゴダ
ワットエクプノン

文化

上座仏教、ヒンドゥー教の影響を受け独特の発展をしてきており、フランス植民地時代の影響も強く受けています。近年は急速なグローバル化により新たな変化を見せています。
カンボジア国立博物館
トゥールスレン虐殺博物館
キリング フィールド
ソッカ・ビーチ
カティエン滝
プレアヴィヒア
コー・ロング・サンローム
ドリアン・ラウンドアバウト
トンレ・サップ湖
サンボープレイクック遺跡

教育

9年間無料の義務教育が憲法で定められています。
王立プノンペン大学
カンボジア工科大学
カンボジアのパンナサストラ大学
ロイヤルスクールオブアドミニストレーション
カンボジア大学
プシスタストラ大学


国立図書館

カンボジア近・現代史の概略

1863 フランスの統治始まる
1867 カンボジア王国が正式にフランス保護領になる
1941 日本軍による支配
1945 日本による支配が終わる
1946 フランスによる支配が再開
1953 カンボジア王国がフランスから独立
1965-69 ベトナム戦争に関与(北ベトナム支援)
1970 クーデター。王制廃止しクメール共和国宣言。共産主義勢力との内戦
1975 民主カンプチア(ポル・ポト)政権を樹立
1979 ベトナムがプノンペン占領。民主カンプチア崩壊
1989 ベトナム軍撤退
1991 パリ和平協定締結
1993 立憲君主制採択。国名をカンボジア王国に戻す。2人首相制の連立政権
1997 首都で2人の首相勢力が軍事衝突

政治

議会代表民主主義を採用する立憲君主国です。国王は国家元首、首相は政府首長となっています。議会は二院制です。
王宮
カンボジア議会
シュプリーム・コート

一人当たりGDP

1,614ドル

経済

国連はカンボジアを後発開発途上国に指定しています。農業、漁業、林業などへの依存が大きいとされています。


アジア

中華人民共和国、 シンガポール、 イスラエル、 台湾、 香港、 韓国、 マレーシア、 インド、 トルコ、 サウジアラビア、 タイ王国、 フィリピン、 ベトナム、 スリランカ、 インドネシア、 イラン、 パキスタン、 バングラデシュ、 カザフスタン、 アゼルバイジャン、 ウズベキスタン、 ジョージア、 カンボジア、 日本、 ミャンマー、 ラオス、 モンゴル、 ブータン、 ネパール、 キルギス、 タジキスタン、 トルクメニスタン、 アフガニスタン、 イラク、 アルメニア、 シリア、 レバノン、 ヨルダン、 クウェート、 バーレーン、 カタール、 アラブ首長国連邦、 オマーン、 イエメン、 北朝鮮、 東ティモール、 ブルネイ、 モルディブ

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