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ネパール

ネパールの地域情報について調査しています。ネパール連邦民主共和国は南アジアの内陸国です。ネパールに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

ネパール

位置

ヒマラヤにあり、北は中華人民共和国チベット自治区、東、西、南はインドに隣接しています。

国土

約14.8万km2

首都(およその人口)

カトマンズ(98万)

カトマンズ以外のビジネス関連都市(およその人口)

ポカラ(41万)ラリトプール(パタン)(28万)バラトプル(28万)ビルガンジ(24万)ビラートナガル(21万)など

人口

およそ2,810万人

人種構成

17%チェトリ、12%バフン、7%マガール、6.6%タルー、6%タマン、5%ネワール、4.8%カミュ、4.4%ムサルマン、4%ヤダブ、その他

言語

ネパール語

宗教

81%ヒンドゥー教、9%仏教、その他
日本山妙法寺
ボダナート
スワヤンブナート
ポカラシャンティストゥーパ(世界平和のストゥーパ)
マヤデビ寺院

文化

120あまりの異なる民族による民間伝承や音楽、ダンス、生活様式など、さまざまな伝統文化があります。
チトワン国立公園
パタレチャンゴ
エベレスト山
アンナプルナ
ランタン国立公園
ダルバール広場
バクタプルダルバール広場

教育

憲法では無料の基礎教育が保証されていますが資金不足が課題となっています。
トリブバン大学
カトマンズ大学
ポカラ大学
パーバンチャル大学
農林大学
ミッドウエスタン大学


ネパール国立図書館
カイザー図書館

ネパール近・現代史の概略

1814-16 アングロ・ネパール戦争(グルカ戦争)、スガウリ条約
1846 王宮大虐殺事件(コット大虐殺)、バンダールカール事件。ラナ将軍家による専制政治
1855-56 ネパール・チベット戦争
1923 ネパールの主権を認めるイギリスとの友好協定に署名
1951 ラナ支配の終焉。王政復古。反ラナ派が政府を構成
1953 ニュージーランド人のエドモンド・ヒラリーとネパール人シェルパであるテンジン・ノルゲイが初めてエベレスト登頂
1955 国連に加盟
1959 複数政党を認める憲法を採用
1960 議会、憲法、政党政治を一時停止
1962 新憲法制定。政党を禁止。議会を制限し国王の権力を強化した間接民主主義「パンチャーヤト制」
1980 国民投票の結果、パンチャーヤト制を維持
1985 複数政党制を求める不服従キャンペーン始まる
1986 選挙のボイコット
1989 インドとの貿易・輸送紛争により国境封鎖。経済状況が悪化
1990 民主化推進運動と治安部隊との衝突で死者と大量の逮捕者発生。国王は最終的に新しい民主主義憲法に合意
1991 最初の民主的選挙でネパール議会党勝利
1994 選挙で共産主義勢力が政府を構成
1995 共産党政府解散
1995- 毛沢東主義の反政府勢力による反乱
2001 ネパール王族殺害事件(ナラヤンヒティ王宮事件)。反政府勢力との内戦、和平交渉、非常事態宣言。
2002 選挙の無期限延期
2003 政府と反政府勢力が停戦を宣言。7か月の休戦後、再衝突
2004 WTOに加盟
2005 国王が政府を解任し、絶対君主制回復。非常事態宣言。反政府勢力と野党が民主主義の回復プログラムに合意
2006 議会が国王の政治権力を抑制。政府は反政府勢力と和平協定に署名。
2007 毛沢東主義者が議会に入る。議会が君主制の廃止を承認
2008 ネパールが共和国になる
2015 地震により8,000人以上が亡くなる。新憲法公布

政治

複数政党制の議会制共和国です。行政権は首相とその内閣によって行使され、立法権は議会に与えられます。
連邦議会
ネパール最高裁判所

一人当たりGDP

1,048ドル

経済

世界で最も急成長している経済国の1つです。


アジア

中華人民共和国、 シンガポール、 イスラエル、 台湾、 香港、 韓国、 マレーシア、 インド、 トルコ、 サウジアラビア、 タイ王国、 フィリピン、 ベトナム、 スリランカ、 インドネシア、 イラン、 パキスタン、 バングラデシュ、 カザフスタン、 アゼルバイジャン、 ウズベキスタン、 ジョージア、 カンボジア、 日本、 ミャンマー、 ラオス、 モンゴル、 ブータン、 ネパール、 キルギス、 タジキスタン、 トルクメニスタン、 アフガニスタン、 イラク、 アルメニア、 シリア、 レバノン、 ヨルダン、 クウェート、 バーレーン、 カタール、 アラブ首長国連邦、 オマーン、 イエメン、 北朝鮮、 東ティモール、 ブルネイ、 モルディブ

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