憎悪とは何者かをにくみ、嫌うことをいいます。扇動とは他人をそそのかし、行動を起こすように駆り立てることをいいます。憎悪と扇動は、しばしば世の中を大きく動かしてきました。歴史における数々の政変や革命は、小さな憎悪と扇動に端を発したものが多くあります。憎悪と扇動によって民衆は突き動かされ、それが巨大な運動にまで発展していくのです。
憎悪と扇動が大きな効果を生むのは、人々に不満やストレスが蓄積されているときです。不満やストレスが蓄積されると、人は何かしらのはけ口を求めます。誰かを憎み、攻撃するということは、不満やストレスのはけ口になりやすいのです。自分の境遇への不満から、誰か他人を憎む行為に共感する。ストレスの本当の原因から目をそらすために扇動活動に加わる。そうやって憎悪と扇動の運動に参加する人が増え、運動そのものがだんだん大きくなっていきます。
憎悪と扇動から始まった革命運動によって悪い政治体制が打倒され、その後、より良い社会がつくられれば良いのですが、必ずしもそうはなりません。場合によっては、新たな権力体制によって人々は今まで以上に抑圧・弾圧され、社会が冷たく暗くなっていきます。憎悪と扇動によって社会を動かした結果、社会がより悪くなってしまうことがあるのです。
問題は、憎悪と扇動によって人々を動かし、運動を操って、それによって権力を握ろうとする人たちが、権力を握った後に本当により良い社会をつくるかどうかです。もちろんその人たちは、より良い社会をつくると約束しながら、人々を扇動していくでしょう。しかし、いざ権力を掌中にすると、民衆が期待するような理想社会はやってこないでのです。もともと、憎悪と扇動によって権力を握ろうと考えているような人たちにより良い社会をつくってくれることを期待する方が間違いなのかもしれません。
憎悪と扇動は社会を大きく動かすエネルギーになりえます。国家社会を動かすには大きなエネルギーが必要ですから、社会を変えていくには憎悪と扇動を利用するのが手っ取り早いと考える人も少なくないでしょう。特に、権力をてっとり早く手に入れたいと思う欲望にまみれた人ほど、憎悪と扇動を利用したがります。
人々は権力を得たいという欲望のために憎悪と扇動を利用しようとする人たちのたくらみには、十分警戒しなくてはなりません。憎悪と扇動により民衆が社会を動かした結果、その民衆がひどい目にあうということは決して珍しくないのですから。
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